既成概念、体制に対する
当時流行った言い方の「アンチテーゼ」は、
サブカルチャーの呼称が一般的だった気がする。
「五月革命」に感染したのは
私よりもう一世代上の世代の方たちですが、
その感染範囲は広かった。
政治に始まりアート、モード。
もっとも私が小僧を卒業した頃には
既にカウンターではありませんでした。
その基盤たる「対」の意識は一つの潮流として
社会の各方面で既に認知されていましたから。
だってテレビにアンダーグラウンド
「アングラ」と呼ばれたバンドが出ていましたもん。
でも「上っ面」でも知って
ウンチクを語るのは勝手にカッコイイと思い込んでいました。
社会主義者同盟に
「革命的」が付くだけで大違いになる事やら
「代々木」を批判する事がカッコ良かったりとか。
もっとも影響を受けたのは
音楽、映像、ファッションでしょうか。
既にギブソン、フェンダーはもとより
「リッケンバッカーのベースよね」
でした。
今思えば
フラワーチュドレンにはストーンズは違和感ありました。
各方面で横の連携なく突っ走っていたからだと思います。
購買層がある所には当然商業資本が参入して来ますからね。
でも、まだ小僧を卒業する前の胎動期には子供心にも
「すごいな!」
でした。
実際、御茶ノ水から本屋に行く途中の
ロックアウトしている大学とか、
投石に使った石がゴロゴロ、
催涙弾のほのかな残り香とか。
ブラウン管を通してしか見る事の出来なかった事を
体感し大きなうねりを実感したものです。
後に良く大中国展が開催され毛沢東語録が売られていたり、
ゲバラのポスターがインテリアとして売れていたりして、
資本は時代の潮流まで飲み込んで行くのですね。
今でもその「アンチ」の意識が抜けない部分はあります。
年甲斐もない髪型だったり格好だったり。
それには私の中学、高校時代の先生先輩友人達が
深く関わっているのです。
その話はいずれ小出しに。