私の小学時代 小出しにw

小学5〜6年生の女性担任から私は嫌われていた。
今思えばイジメに近い状況だった。

同じ事を他の子がしてもOKなのに何故か私がすると、
その度毎にこっ酷く叱られ罵倒されていた。

今だったら不登校、引き篭もりにでもなるのであろうが、
脳天気な私は友人と遊ぶのが楽しく
普通に遅刻もなく通学していた。

極め付きは保護者会で
母親まで散々嫌味を言われるらしく

「あんた学校で何やってるの!」

と理不尽なお叱りまで受ける始末。

年がバレてしまうが当時は都立高校全盛末期。

日比谷を頂点とするヒエラルキーは
学校群制度によりなくなっていたが、
それでも群内の「旧制府立」を頂点とする階級はあった。

保護者会で私の母に向い

「おたくの息子は都立なんかには入れない」

とまだ小学生を捕まえてのたまわれたものだからたまらない。

人一倍その方面には熱心だった母親は
沸騰したヤカンの様な形相で帰宅したのを憶えている。

成績は左程悪くなかったんだけどね。

当時から御三家はあったのだけど
頭も経済力も遠く及ばない我が家は公立の道しかなかった。

ちなみに今
飛ぶ鳥落とす勢いのK高校は滑り止めだったんですよ。

勿論高級ブランドの
九段下の中高一貫校とかはありましたけどね。

放課後のドッチボールを楽しみにしている様な私には
縁もない話です。

話元にもどして、

私の他にもう一人その担任から
イジメられている子がおりました。

その子の場合更に壮絶で子ども心でも

「なんでそこまで?」

とそりゃあ気の毒でした。

今でもはっきり憶えてますが
テストの解答用紙を返却される時、
一人一人教師の元に取りに行くのですが、
その子が取りに行ったら、
なんと

「この答えはなんだ?」

と因縁つけられトドメは教室中に響き渡るビンタ。

流石に気丈な彼も席に戻るときヒックヒック 教室はシーン。

ちなみに彼は学年でもトップの子だったのですよ。

ある日、確か休日だったと記憶していますが
突然その彼のお母上が我が家にいらっしゃいました。

和装で子ども心にも上品な方でした。
うちの母親と何やらヒソヒソ。

お互い担任から子どもがイジメられているを知っていた様子。

今の様に
学校にクレーム入れに行く時代ではありませんでしたから、
どうやって卒業迄の期間をやり過ごすか。
の相談だった様です。

で、なんとか小学校を卒業し
呪縛から解き放たれたのですが、
当然イジメられる子もいれば
そんな教師ですから贔屓する子もいたのです。

そりゃぁもう贔屓の仕方も半端ではありませんでした。

大学2年の頃でしたか、
その贔屓されていた子から突然電話がかかってきました。

別に彼とは個人的な確執はありませんでしたから
お互いの近況とか久しぶりの会話を楽しみ
肝心の要件の話に移ります。

「今度さぁ上野で同窓会するから来てよ。」

「行く行く。」

「よかった〜連絡とれないやつ多くてさ」

「で、先生は来るの?」

「うん 呼んであるよ」

「じゃぁ行かない!」

自分でも大人気なかったとは思うよ。

うん。

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