カウンターカルチャー 中学高校

中学校で私を可愛がってくれたもう一人の女性先輩とは、
今でも仲良くして貰っています。

いつも私が上京した折には会うのですが、自然とハグ。

先月も池袋駅で改札出た私を見つけるなり
あの人ごみの中、人目をはばからずハグ。

中年のオジさんオバさんが
人目もハバからず
しっかり抱き合う光景は気持ち悪いでしょうねぇ。

彼女にはそれこそ色々影響を受けました。

今思えば偏ってはいましたが
現状の体制の事から始まり、
カウンター方式のものの見方、
その考え方。

相手は先輩で女性でしたから、
それは聡明に感じたものです。

彼女とは中学卒業後も同じ高校で同じクラブに入り
益々影響を受けました。

私の事情から一年でその高校を離れる事になり
しばらく間は空きましたが、
私が大学に入り再び上京してから
また頻繁に会う様になったのです。

当時の彼女はさらにも先鋭化しておりましたが、
都落ちしてブランクのある私には
多少ついて行けない部分もありました。

元に戻りますが中学、高校では
「考える」スタイルがカッコ良く
私もそれを熱望していたのです。

勿論中身は自身の考えなど微塵もなく
見事な受け売りでしたけどね。

在校していた高校の図書館は結構充実しており
サルトルもフツーに置いてありました。

「シュツアシオン」を借りて読んだ時のショックは
今でも忘れません。

なぜなら全く理解出来なかったのです。

そっち方面の学部に進んだ今だからわかるのですが、
全然違う地域の哲学を専攻しましたが
一応学習の仕方はおぼろげながらわかります。

カントと言う分水嶺をまず踏んで
現代の方面に流れて来て勉強しなければ
理解など到底できない事は後年わかった事です。

恥ずかしながら。

多少端折りますが高校では、
これまたトンデモない女性教師との出会いが、
またまた私の思惟方法に影響を与えたのです。

自身でしか割れない積み重ねの日々はかけがえのないもの。話は多岐に渡ります。