「老人介護」カテゴリーアーカイブ

誰でも通らなければならぬ道なれど、現在その真っ最中。

超高齢者の突然の居眠りには医学的な理由があった。

入院中の母親の顔を見て

 

正直

誠に正直に申しますと

なんだか人間ではない

別の生き物に見えてしまった。

 

齢が体、

特に出ている顔を見た時

「???」

と感傷感想は出てきません。

 

ご批判を承知で申し上げるなら

「ここまでして生きなければいけないのか」

であります。

 

それは彼女のこれまでの生き様

散々、我儘放題で

他人様を振り回していながら

それでもなお「生」への執着を

感じるからなのでありますよ。

 

母はまだ頭はしっかりしていますから

いえ、高齢ですから

とある部分には出ていますけど。

私の顔を見て

「なんでこうなったのかねぇ?」

と曰います。

 

彼女は関わりある皆さんが

総出で介護してくれているのに

自身の思う様にならない。

それが大層不満である様子。

 

ドクターが来てくれて

説明をしてくれました。

何しろリハビリを拒否するらしい。

 

一ヶ月も入院して体を動かさず

寝たきりを続けますと

当然、筋力は落ちます。

 

と、どうなるか?

人間の体は

実にバランスの上に成り立っている。

 

内臓系がしっかりしていても

筋力が落ちると

まず軽くオツムに異常を来すそうな。

 

例えば、関節は年を重ねると

当然すり減って

場合によっては痛みを伴う。

ところがその痛みを認識しなくなる。

なぜ認識しないかと言えば

他のマトモな部分を守る為にオツムが

その回路を遮断するそうであります。

 

それでもオーバーワークと判断した場合

突然、思考回路を遮断。

良く目にする

高齢の方のコックリコックリ。

あれであります。

 

それは筋力だけの問題ではありません。

あらゆる臓器

体の部分でも起きるそうであります。

 

会話をしていて話が飛んだり

回路保護の為突如「忘れる」。

病気としてのアルツハイマーとかではなく

自然の摂理としての

いわゆる軽い「ボケ」ですね。

 

「ご飯を食べていない」

は軽いジャブ。

 

ここで問題なのは

その体を持ってして

まだ生命を維持できる点にあります。

 

大正から昭和の初めと比較して

日本人の平均寿命は

30年も延びているそうですから

医学の進歩には驚くばかり。

実感します。

 

母を例に取るなら

皆さんが手厚くしてくださらなかったら

とうの昔に「あちら側」の人。

 

その彼女の病気は回復したと判断。

そして今週末

施設へと帰る段取りとなりました。

 

帰りしな施設を訪ねました所

もう病院から連絡を受けてまして

準備するとのこと。

 

あの筋力の落ちた状態での帰還。

依頼心が強く

超我儘でキレやすい彼女を思うと

施設の方の苦労は想像に難くありません。

「誠にお世話をおかけしますが」

と本心から頭を下げました。

 

父にも当然会いましたが

談話室には座っているものの

見事に「お地蔵さん」。

 

これまた内臓系は異常なしだそうで

なんと申しますか(笑)。

両親の世話と家の管理等

また諸手続き

関係各位の助けが無かりせば

本当に途方に暮れていたでありましょう。

 

母の突然の入所許可。

一安心と思いきや

間髪を入れぬ入院。

そら、病気なんだから仕方がない。

 

が、

ただでさえ実家に行けば

済ませて置かなければいけない

手続きが目白押し。

 

 

役所、金融機関を回りまして

長年お世話になったヘルパーさん達への

挨拶もまだ済んでおりませんでしたから

伺いますと

 

「ほ〜んとに貴方も大変ね」

「体を大事にね」

 

と逆に優しい言葉を頂いたのは

せめてもの救い。