「水」が民間企業へ?

先日来ニュースをにぎあわせている「水」。

の民営化。

もともとさ

私ら日本人の常識がおかしかったのかな?

「水」と「安全」はタダと思い込んでいた。

のよ。

私はね。

それがさ「安全」については

民間警備会社の見事な成長ぶりを見るにつけ

我が国の性善説神話は

次第に薄くなって行ったと感じます。

街頭の防犯カメラの数もそうだし

今や一般家庭でも警備会社と契約するのは

もはや普通になっていますから。

「自分の身は自分で守る。」

これは個人の問題でもなく

国もそうあるのが世界常識なのですよね。

何も「想定外」の事件に巻き込まれるのは

個人だけではありませんから。

それは対外的な問題でありますから

今回は触れません。

今日のお題の「水」。

これは実に切実な

「そこにある危機」

なのですよ。

何しろ直接蛇口から飲める水を

当たり前に長年暮らして来たのですから。

それほど安全を安価で我々は享受していたのです。

国外のホテルではトンデモナイですよね。

そこら辺も「我が国」の自慢ではありました。

現状、私の周りでは水道水をコップにとり

ゴクゴク飲む人は確かに少なくなって来てはいます。

これまた

「飲料水に関してはタダではない。」

との意識が国民に広がりつつあるのは確か。

「しかしいざとなれば水道水も飲める」

この安心感はすごいものがあります。

飲料だけではなく水は生活にはなくてはならないもの。

生きていけませんものね。

金額的には自治体によって差はあるものの

「高いな」

と感じつつも払えぬ金額ではありませんでした。

ところが水道事業が将来大変なコスト高に

見舞われることが確実になった時点での

にわかに降って湧いた

「民営化」。

民営化されても、

そりゃ安全な水が確保され

それも適正な料金で提示されるなら

そしてそれが永続するのなら

しばらく続けていく内に

常識となり違和感もなくなるのでありましょう。

私がね違和感をすごく感じるのは

その国会論戦。

確かさ今の野党が政権を握っていた頃

盛んに

「仕分け」

なる作業が行われていた過去を振り返るに

今回の水道民営化について

「これ逆じゃね?」

との思いが募るのですよ。

確かさ象徴的な言葉として

蓮舫さんが仕切っていた「仕分け」で

スパコンをその俎上にのせ

「NO1じゃないといけないんですか?」

があり

相手を睨みつけていた彼女の目を思い出すのよ。

いや広義の基礎研究の観点から言えば

「NO1じゃないとダメなのよ!」

だったのですが

現実研究費の大幅削減を強いられ

この速度の超早い現在の世界の研究開発に

見事についていけなくなったのは確か。

だってさ

現在は何やるにしても

PCの速度と数が勝負を分けますからね。

お隣の経済大国のスパコンの保有台数は

知らぬ間に頭抜けている現状がありますものね。

それがもたらした各方面の研究開発と

その成果は改めて書く必要はないでしょう。

で、話戻して「水」。

これに関して言えば

これ現野党さんが

政権時に言い出しても全然おかしくない問題ですよね。

いや言い出さなかったのが不思議。

と言いますか

多分当時の政権さんは

資源としての水だけ見ていたのであり

それに必要なインフラまで

頭回っていなかったのではないか?

と密かに考えているのであります。

それがさ

現在の政権与党が言い出したら

「断固反対!」

これっておかしくね?

現野党が言い出して

現政権が断固反対ならまだわかる。

「この人達は本当に国のこと考えているのかしら?」

と感じてしまうのは私だけかしら?

前回書いた「外国人人材」も同様。

当時から人口構成比は変わっていないのですから

当然現野党の皆さんが政権時に言い出しても

全然おかしくない問題。

それが現与党が言い出したら

「断固反対」

現政権の肩を持つわけではありませんよ。

その論戦と言いますか

「成り行き」が何か変。

この人たちは国会を自分たちの言葉遊び場にしているのでは?

との思いは日に日に募るのでありますよ。

そのツケをどの様な形で

いつ我々国民が払わされることになるのか

考えなければいけない時代になりつつある。

それは結構深刻であり

世の中の流れの速さから鑑みると

「すぐそこにある危機」

であると私は思うのでありますよ。

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