高齢者介護。熱発した母親の処置。施設の駆け引きは実体験に元づいた方法であろう。

「母が熱を出した。」

 

と施設から電話があったのは

昨日夕刻

大事な我が家の経済に関わる話を

まとめに行った帰りの車の中であった。

 

長い間の懸案事項

それがようやく纏まったゆえ

安堵もひとしおであった。

 

その帰りの車中に鳴る電話。

画面を見れば

父と母が入所している施設からである。

先日行ったばかりである。

であるが

この時間に電話。

間違いなく良い話ではない事は

瞬時に判断はつく。

 

案の定

「母が昨夜から熱を出し抗生物質を投与している」

とのこと。

 

最近、施設はなんでも予防線を張ってくる。

 

勿論、それは過去の苦い経験からであろうが

状況を伝える声からは

無機質な印象を受ける。

余分な事を言って

ただならぬ事態になった事も

多かったのであろう。

 

真っ当に

老いた順に薨るのは

世の習い

いや自然の摂理である。

それをこれも「自然」と受けるのが

真っ当であろうが

世の中には色々な方が多いとお見受けした。

 

さらに

「二、三日で改善しなければ病院に運んでも良いか。」

とのお尋ね。

 

確か、

いや勿論その施設も病院の経営である。

これもまた

余分な摩擦を避けるが為であろう。

当然、返事はそれに応ずるしかない。

 

現在実家方面では様々な問題を抱えている。

 

全く別件の降って湧いた様な相続の話、

余計な心配をかける従兄弟。

そして何が突然起きても

おかしくない両親。

それに実家その物の家をどうするか。

 

考えてたら

鬱々となってしまうことが誠に多い。

 

しかし、

現実に私たちは生きていかねばならぬ。

 

それだけでも大変な事であるが

かくも心乱される出来事が

いっぺんに訪れようとは

思ってもいなかった。

 

「乗り越えられぬ試練は与えられぬ」

 

と人は良く言うけれど

果たしてそれは本当であるのか

実際、今現実に私が試されている。

 

決めた。

 

一つ一つ

感情抜きに起きた事柄に即応する。

 

これでなければ

私が潰れる。

 

学んだことがあるとするなら

子供に迷惑、要らぬ心労をかけぬ様

私自身の生き方を律すべし。

これに尽きる。

 

その意味では我が親は

見事な反面教師ではある。

感謝するべきであろう。

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