「そして誰もいなくなった」家をどうしましょ?

先日実家に行って来ました。

 

母まで施設に入所しましたから

当然、家には誰もいません。

 

ながら

誰もいないからと言って

そのまま「放置」できないのも

物理的、

また管理上できないのであります。

 

物理的とは

人間がそこで生活すればこそ

発生した「壊れた」部分を

知る事もできれば

手当てする事もできます。

 

独居でしたが

毎日ヘルパーさんが朝夕2度、

それにケアマネさんが一度

看護師さんが適度に

医師が週一。

これだけ人が出入りすれば

自ずとドアの蝶番も

スムーズでありますし

何故か門から玄関までの短い間ですが

玉砂利には草も生えません。

 

が、面白いですねぇ。

それがパタリと無くなった。

すると

生えていなかったところに

何故か草が

いえ

蔓も伸びて来るわ

窓も開けてないのに

何故か部屋埃っぽかったり、

やっぱ

「生活感」がなくなるとは

 

こう言う状態を言うのでしょね。

 

とりあえず

窓全開にして回り空気入れ替え

そして玄関脇の草刈り。

 

当日は晴天にて

気温も高く

一瞬でゲンナリ。

 

庭は良くマジマジと

と、言いますか

母が在宅の頃は

庭など見たこともありませんが

一応一周して見ますと

大げさではなく「ジャングル」。

こら

植木屋さんに頼むと

相当な金額になるでしょうなぁ。

かと言って

私一人で自力は到底無理。

どうしましょ。

 

父は元気な頃

それなりに夢持ってこの家を

設計してもらい

また庭師さんにも相当お世話になったと

思いはしますが

それを管理しなきゃいけない子供のことは

スッポリ抜けていた様子。

私は「実家で暮らすことはない」

と明言していたのですが

まぁ父が子供みたいだったのでしょね。

建坪が90を超える二階建ての家の管理

それにその倍はある倉庫の管理。

そら尋常には行きません。

 

とりあえず

誰も住まなくなった家の

火災保険等を見直さなければいけませんね。

支払いハンパではありませんから。

本当ならやめたい所ですが

万が一に備えるは、

これは必要でしょう。

で、私の口座からに切り替えました。

 

母が入所して

今一度収支を計算し直しますと

 

面白いですねぇ。

施設費でキッチリ年金は消える様になってます。

さらに、当然実費、買い物もありますから

その辺りは私持ち。

これ、身寄りのない

また身寄りが寄り付かないお年寄りは

どんな塩梅に施設はしているのでしょうね。

 

と、老人介護には「謎」の部分が

大変多い。

 

それから「家」がそこに実在しますから

これも妙なのですが

地域のお金も必要となります。

どうにも非合理なお金を求められますが

狭い町ゆえ抗うことも叶わず

それも私持ち。

 

で、一通り済ませ

施設に面会に行きますと

能天気な母親のお言葉の数々。

 

家で介護されてる方もおいでですが

それ、実際やったら

いや、私にはマジ無理。

良く聞く介護疲れ。

実感しますよ。

 

私の場合

体とか時間を拘束される訳でもなく

色んな所に気を使い

将来、家を物理的にどう処理するか。

それくらいの悩みですが

実際自分の人生の時間の大半を

親の介護に使い

またそれが為にあらゆる事を犠牲にした。

そんな方が本当に大勢いらっしゃいます。

 

これから日本は

未曾有の高齢化社会に突入します。

 

まだこの状況は「序曲」でして

 

私らが本物の老人になった時

この国はどんな様相を呈しているのか

想像もしたくありませんね。

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