今日は大学入試二次試験。「子供の思ひで」に浸る親バカ。いや、この親はバカ。

今日は国立大学の二次試験の1日目。

 

一昨日、東京へ子供を送り出しました。

 

その後職場に行き

ある調べ物をしていて

住所をマップで拾っていましたが

その調べ物の付近には

近くに以前住んでいた家があります。

それはもう10年も前のことです。

 

見ていたストリートビューの画像が

昨年の夏撮ったものらしく

素晴らしく青く晴れた空に

その家が

クッキリと映し出されておりました。

 

本当に愚かな私のおこないによって

全財産を失い

そして慌てた私は

それから先を悲観して

早とちりにも

その家を手放したのでありました。

今でも

忘れたくとも決して忘れる事のできぬ

思わぬ出来事とともに

私ども家族は引っ越したのです。

 

遅くできた子供でした。

 

それ故

少しやり過ぎかと思える位

距離感のない父子でもありました。

子供にとってもそれが当たり前の様子。

子供ですから当然ですね。

そう刷り込まれた子供は

スキンシップにしても

なんにしても

それはそれは一体感の強い親子と

なっていたのであります。

 

私に似たのか

楽天的で独占欲が強くて

そして何より

距離がありませんでしたから

彼の肌の感触、弾力まで

今に至るまで忘れたことはありません。

 

キャンプだ旅行だと

家族で事ある度に出かけ

それこそ裏日本を除いて

ほとんどの県にお邪魔しております。

 

そんな時間を重ねる毎に

「家族とは」

の自分なりの印象はできていたのですが

不幸な事に引っ越さなければいけない事態となり

それでも「家族」一緒ですから

子供は当然何も感慨はないと

考えていた私は実に浅はかでした。

 

あらかた荷物は引越し屋さんが持って行き

その夜

自分で持っていかなければならない

大事なものを取りに家に入り

私が発した言葉への彼の思いもよらぬ

反応は私を狼狽させました。

 

「距離がない」と先ほど書きましたが

私は彼の心をちっとも理解していなかった事に

愕然となったのです。

 

「これでこの家を見るのも最後だから」

と私が発しますと

当時小学3年に上がる前だった息子が

今まで見せたことのない涙を、

そして後ろを向いて激しく肩を揺すったのです。

声を出して。

 

私どもが心配したのは

転校してその学校に馴染めるのか。

でしたが

それを察していた子供は

 

「僕はね、転校なんてどうでもいいんだよ」

「この家を離れるのが嫌なんだ!」

 

言葉を失いました。

 

子供

それも生まれてから物心つくまでに

育った環境は、やはり大きなものでした。

 

それからの子供は

学校は変わったものの

表面上の変化はありませんでした。

 

が、特別親しい友人を作るわけでもなく

これと言った友人同士の楽しみ、

一緒に何処かへ出かけるでもなく

親の私どもとキャンプや旅行するのが

楽しみと言えば楽しみだった様子。

成績は親が言うのも変ですが

正に「文句なし」でありました。

答案用紙が返ってくる度に

その点数が当たり前と思い

そして子供も自慢するでもない。

なんとなく妙な印象は持ってはいました。

 

更に子供らしからぬ事に

口には出さねど

好き嫌いがハッキリした子であることは

わかってはいましたが

彼が担任の教師を疎ましく思っていたのは

迂闊にも気がついていませんでした。

 

学校では問題行動は起こさぬものの

実に教師にとっては

始末に悪い子供でもあり

また逆に子供にとって

これほど居心地の悪い環境はありません。

何しろ担任が彼を目の敵にするのですから。

 

しかし彼は負けていませんでした。

まず授業を聞かない。

教師を無視していたのですね。

かと言って授業を邪魔する訳ではない。

手をあげて発言しない。

しかし教師が「聞いてない」と錯覚し

指名して答えを求めると

板書をサッと斜め読みして

すぐに正解を答える。

およそ「子供らしからぬ」と映ったのでしょう。

それからの子供は担任との不毛な戦いを

我々の知らぬところで繰り広げていたのです。

 

ひょんなことから

確か他の保護者さんからでしたか

その話を聞き

子供に問いますと

残念ながら事実でありました。

私のせいで誠に子供に辛い思いをさせていたのです。

それを一々私どもに言わない子供も

何か考えがあってのことでしょう。

 

その後

 

都内も含め中学を

県外に行かせる事に決め

受験させ

経済的にも可能であり

県外生が大半を占める

鹿児島の中高一貫校に進学させました。

その時子供は12歳。

 

それから離れて暮らす生活が6年。

その6年間は彼に学業以外に

様々な影響を及ぼした様子。

そちらの方が遥かに大きい。

どう撮影しても

桜島が背景に写る市内でのスナップの笑顔は

改めて観ますと輝いております。

それこそ「アッ」と言う間の6年間。

 

今月初旬、卒業予餞式を終えた子供が

職場から帰ると家にいる生活。

それがたまらなく愛おしい時間。

そう実感する短い日々が

つい一昨日で終わりました。

 

子供と共に

親も成長するのか

余計な感慨が増えるのか

それはわかりませんが

これは予想ですが

一緒に暮らすことは

もうないでありましょう。

それは頭では理解しております。

 

子供の成長を見守る。

 

それは耳障りは良く

当たり前ではありますが

残酷でもあります。

 

それに

余程のことがあったのでしょう。

子供はこの地を嫌っております。

今度は大学受験に向かう

手荷物検査を受ける子供を見送りながら

「ああ、あの子が更に遠くに行く」

そんな感傷に浸る情けない親父なのです。

 

あの感触、あの弾力。

 

「子供は5歳までに親孝行をする。」

 

これは本当なのかも知れません。

さっき抱っこしたかの様な感触が

この手残り続け

思い出す度に

私は幸せに包まれるのですから。

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