「思う」と「考える」の違い。

自分の意思を明確に相手、

立場を表すにはどちらが有効か。

 

例えば手紙でメールでも

現実の会話の中でも

そのやり取りの中で

自分の意思を伝えるのに使う言葉

 

「思う」

と「考える」。

 

断定の「である」もあるが

これは社交的にチトまずい。

それにこれは使い方にもよるが

結果の伝え方とも解釈され

歪んだ自分像を相手に与えたり

誤解を招くことにもなりかねない。

これは論文、

会社のレポートで使うべき「である」。

そう、留めておくべき「である」。

 

それはともかく

これはどちらに良いのか。

これは違うものなのか。

使い分けなければいけないものか。

 

これは明確に違う。

 

私にははっきりした線引きがある。

 

「思う」には

対象の印象であったり

経験から来る好み

また願望

自分の「意思」が反映される。

 

その地面から離れて

自己の利はともかく

いや自己の利でも良い。

ことを成就させる為に冷静に思考する事を

考えると表現する。

 

打算ではない。

あらゆる方面で摩擦が起きぬ様

もしくは摩擦もやむなし

で自分が最良とする道を

相手、世間様に表す。

 

人間は考えなけらばいけない。

考える行為には明確な目的がある。

考えたら何をするのか。

行動するのである。

「思う」では行動してはいけない。

考えて結果の行動するのである。

 

しかし

自身では考え尽くした結果の行動であろうが

世の中、それが上手く行くとは

必ずしも限らない。

 

世の中を見渡すに

成就する方が稀である。

同じ行動を取った人の

ほんの数パーセントの人が

成就させるのである。

その成功事例だけを見て

「私も」

と参入するが結局舞台から消える。

 

その違いは何か。

「思う」と「考える」の

明確な違いである。

 

「思う」ことは大切である。

 

しかしその「思い」を成就させる為には

「考える」行為が当然必要なのである。

 

これは世の中の営み全てに言える。

「思う」だけでで行動を起こし

行為を続けたらどうなるか。

それは先ほど述べた通りである。

 

「考える」

行為を日常化しなければならない。

何故なのか。

それはまた明日(笑)

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