子供が受験期なので
どうしてもそっちに目が行ってしまう。
今日も入試ネタです。
お許しあれ。
基礎学力を問う。
センター試験の意義は
大学で学ぶ為の基礎学力を
持ってるか否か。
それを測るのが発端だったと
確か記憶しています。
以前は共通一次試験がありました。
国公立大学受験者用の試験でしたが
その点数により国立大学が
序列化されるとの反省点から
センター試験に移行した経緯ですね。
そして現在では加えて
私立大学まで参加して
ほぼ大学進学を希望する人は
受けなくてはいけない。
この試験で希望の大学に叶う
スコアを出さねばいけません。
「希望の大学に叶うスコア」
これっておかしくありませんか?
元々「基礎学力」を測る為の試験でしょ。
概ね六割程度取れれば
と言いますか
「概ね六割で基礎学力」
を目安に試験問題も
作ってある「はず」。
ところが現状はどうでしょう?
全然立ち上げの時の計画とは違い
見事に点数により
大学の序列化が完成しています。
「足切り」って良く聞きますけど
あれはおかしい。
だって基礎学力を問うのでしょ。
なんで「何点以下は二次はダメ」
なのでしょうか?
六割超えてりゃいいじゃん。
と、
原点に立ち返って
実に不可解の思うのです。
そして2年後には
また新たな試験が導入されます。
この試験には
思考力、判断力、表現力
この要素に力点を置くとか。
またまた素に帰り
素晴らしく単純な疑問。
「誰が採点するの?」
話は違いますけど
実際にある事例を1つ。
英語検定試験
「英検」ですね。
あれってさ
東京都と地方で合格率に差があるの
ご存知でした?
面接あるでしょ。
あの判定が地域によって違うのよ。
準一級の場合
東京では4だった人が
こちらで5になるケースは
残念ながら発生します。
なぜなら人が判定し
地域のレベルが反映されているから。
今度の新しい大学入試試験では
外部のその手の「級」
もしくはTOEICの点数とか
まだ他の試験も検討され
必須とされる様子。
これまた理解に苦しむ。
それに現実的に
各試験会場に大学受験生が大挙押しかけたら
そらどんな様相を呈するのでしょうねぇ。
それも受験の前の年の
4月から10月までに受けた試験の
結果しか反映するとかしないとか。
例えばですよ
高校の3年の4月から10月までの間って
新しく採用されるセンター試験に
変わる試験の勉強と
当然希望する大学の二次試験の
勉強もしなければいけません。
その上、外部試験の勉強?
すげぇ事、若人に要求するのね。
TOEICの分厚い英語のガイド見ただけで
私、目眩しましたもん。
話、戻して
センター試験。
これの弊害は以前から聞いていました。
見事に序列化が進みましたものね。
それでもなぜここまで続けたのか?
個人的な見解ですけど
多分、受験産業の存続の為ではないかと
密かに考えています。
あくまで推測ですけどね。
ところで先ほど書いた新しい試験。
この採点が大いに気がかりです。
受験生って少子化と言われても
数十万人ですよ。
その個々の表現力を
どの様な基準を持って
判定していくのか?
の前に
物理的にどう採点するのか?
誰が採点するの?
ある意味実に興味深い。
話変わって
国立、私立大学には特色があります。
特に戦後、
各都道府県に新たに設立された
新生の国立大学。
「地域の学力向上と
発展の為に尽力する人材の育成」
が主眼ですが
地方国立大学の医学部が
地域医療に大変な貢献をしている事実。
その例1つとっても
そこに自宅もしくは近隣から通えて
経済的にも大変有意義な事です。
全国区の私立大学には
まずは「建学の精神」ありき。
創立者の理念。
それに得意とする学部。
特に旧制の私立大学には
顕著な特徴です。
それらを自ら考え選んで入学を志望する。
それが今ではどうでしょう?
「センター何点だったから志望を変える」
それも他府県とか
場合によっては学部を変える。
良く耳にしますけど
これって断固おかしい。
私的結論としては
やっぱり入試は個々の大学の作成した
「入学試験」
一発で決めるのがよろしいかと
切に考え願うのであります。
受験生も
「当たって砕けろ!」
とは申しませんが
気合い十分でその大学の門を叩く。
大学側も思いっきり門を開き迎え撃つ。
いいじゃないですか。
潔くて。