まず背景ね。
過日、先週の土曜日
ある会合に出る機会をもらいました。
熊本でブログを書いてらっしゃる方の
勉強会みたいなものかな。
ブログって
一人でシコシコ書いていて
そしてその評価もさ
具体的に反応としてある訳じゃないから
現実に目の前にいる他人様の反応を
直接観れる貴重な機会な訳ですよ。
それまでも同じ主催者、企画で
現在まで3度行われています。
今回で4度目。
私の出席は今回で2度目。
それまでは極々内輪で開催されてまして
最初は3名。
「今度もそうかな?」
と行ってビックリ。
いきなり10名に増えてた。
ここで激しく反省。
私の日常は
半ば「引きこもり」状態。
たまに街に行きますと
お店の変わり様
物の溢れ方に驚くのでありますが
人の行為も同様。
いつまでも同じ場所に
留まってるはずがなかったのであります。
地味で遅く思えた歩みですが
当たり前ですが
同じ場所に留まっているはずがない。
物理的にも
一歩踏み出せば、一歩前に進む。
当たり前でした。
で、会は始まりましたが
司会者さんの指示で事は進みます。
まぁ真っ当な展開。
と思いきや
今回集まった人たちは多士済々。
と、言いますか「大人」でした。
何の為にこの場に来ているのか
それが良くわかっていらっしゃる。
自己紹介から本音の個性溢れる滑り出し。
聞いていて思わず引き込まれます。
その最中にも質問が飛び出し
それに的確に答えて行かれる。
良質な質問に良質な答え。
私が聞きたい事が
自分で手を上げなくても
スイスイと進んで行く気持ちの良さ。
一巡して別の話題に変わりますと
これまた同様。
私が聞きたかった事は
周りから質問がすぐ上がり
それに的確に答えが来る。
全て経験から来る答えですから
聞いていて実に気持ちが良い。
それどころか
同じ質問に他に方から別の回答が返ってくる。
これまた経験からの回答ですから
実に聞き応えがある。
外連なく見栄張る事もなく
全て本音。
ですからこちらも肩の力抜いて
会合に参加できる。
だって本音で言えば良いんですもの。
そうなるとこの会合自体が意識を持つのですよ。
1つの方向に向かって建設的になる。
それはお互いが「大人」だからできる事。
で、実感した事。
この世界、
ネットの世界ね。
流れは私の想像以上に速く
それは技術的な事もそうだけど
しかし
ネットで話題になったものが
現実社会に即時性を持って
見事に反映される。
以前書いたけど
うちのガキが言っていた
「文化を消費する」
が具現化してる様相。
世の中の興味の対象の移ろいも
異様に早い。
それを機敏に感じ取り
感想なり考えたことを書く。
そしてそれを他人が読んで
また前に進める行為に移る。
「個」でやっている様で
実は繋がっている。
ミクロで見るからわからないのであって
しかし
そのミクロが現在では
「世界」は大げさにしても
同じ言語を使う日本に向けて発信したことが
何かの拍子にいきなり「来る」ことだってある。
実感したのは
個々がみんな強烈な個性を持っていて
同様にネットと言う武器を持っている。
これは実に恐ろしいことであります。
私にとっては。
なぜなら
「表現する」と言う行為に於いて
硬直化した私の想像を遥かに超える
表現形態を皆さんお持ちで施されている。
これは取り方によっては
既成概念に囚われている書き方をする
私にとって
致命的な自信喪失になりかねない。
この様な会に参加することが
恐ろしくもなる。
「書く」と言う行為と
「読む」と言う行為が
これ程までに世間の耳目を集め
また
広く大衆が望んだ時代が
あっただろうか?
それは固執した私の頭では
「読む」と言う行為が
例えば文学であったり
例えば専門書であったり。
それを「知」の集積と前進と例えるなら
それと並行して
現代版の「読む」行為が
時代の潮流を作り出し社会を動かす。
今までになかった
「読む」
と言う行為が変質し一般化された
現実を実感させられるのです。
それは短いSNSであったり
ブログであったり
また本格的なサイトであったり。
様々に「読む」形態はあるけれど
ドコモでも他のキャリアでも
現在は「通話」は定額
データーの課金でおマンマを食べている。
その事実1つ取っても
これからはどの様な方向に
世間様が向いて行こうとするのか
わかろうと言うもの。
それに気がつかなかった
いや
気がついてはいたけれど
敢えてそれから目をそらし
「これは本物と違う」
と言い続けて来た自分を
猛省しなければいけない。
それを痛感させてくれた
会合に感謝でありますよ。
確かにお手本となる人の話を
傾聴するのも勉強にはなる。
しかし今回の様に様々なジャンルから、
また一般的と思い込んでいたものとは
異なる視点をお持ちの方。
それらの
一見して混ざり合うことのないであろうと
思われ、
いや勝手に私が
思い込んでいた人たちが
お互いを認め話を進めた時
知らず知らずに
ケミストリーからベクトルが産まれている。
誰も「結論」は持ってはいない。
しかし
それを無理に探すことなく
各々が「ストン」と落ちる何かを
持ち帰ることができる寄り合いは
実に有意義であり
愉快である。