「お金は見たら減ると思え!」これは本当だと思う。

世の中にお金持ちは沢山いらっしゃる。

みなさんご存知でネット、マスコミに

度々お出ましになる方。

現在は極端な二極化が進んでいますから

特に耳目をお集めになる。

 

でもね

実は先祖代々「お金持ち」。

 

そんな方も数多くいらっしゃる。

 

現代の税法で行けば

何もしなくて「相続」を繰り返せば

いずれは「なくなる」。

 

先日先祖代々お金持ちにお会いしたのですが

これが目から鱗。

実に手堅く減らさない様に頑張ってらっしゃる。

そんな方に限って

全然世間様には露出をしない。

 

なぜって?

その生活は「地味」のお手本でした。

 

どう地味か?

普段の生活でお金持ちですから

さぞやお食事も「良いところ」に

行っているかと思いきや

これが全然。

 

勿論、知っていて用事で

行ったことはおありになる。

しかし、自分の気分で行こうとは

決して思われない。

食事も質素。

 

で、お召し物も

これまた「地味」。

ブランド物には興味がない。

 

それでいて

相続したからには

それを減らすどころか

増やす方法を手堅く実行される。

 

そして子供への戒めも

尋常ではなかった。

 

その方がお母様から常日頃言われていた言葉。

聞いてビックリ仰天。

 

「お金は見たら減ると思え」

 

お金を持っている。

もしくは通帳の残を見る。

そうすると

人間慢心が出て

つい

「これくらいなら」

となってしまう。

 

その蟻の穴がダムの決壊につながる。

 

それ戒めが日常と化し

身につくと、今度は生きたお金の使い方

それが自ずと身につく。

 

「ここぞ!」

 

と踏んだところには

 

「えっ!」

 

とお金を注ぎ込む。

 

するてぇと

それがまたまた増えて行き

相続する頃には

税金取っ払っても

元より増えていて

さらに「金持ち」となっている。

 

それを脈々と引き継いで来られて

お会いしても全然そう見えない。

 

なぜか?

「とってつけた」

が全くない。

吝嗇家が自然体なのです。

 

会って違和感はない。

そんな人だと思うし

「まぁ飾りっ気がなくて正直な方」

 

との印象しかありません。

 

だって人間って虚勢張りたい生き物でしょ。

それがないのだから

「正直な方」と映るのです。

 

話変わって

それに似た経験は誰もがします。

 

昨日の私がそうでしたが

お財布の中に福沢先生がお一人。

それをなんとかお出まし頂かない様

日々の生活を

と言いましても私個人の支出ですが

凌いでいたのです。

そう何日か。

 

それはそれで

アッチャコッチャから引っ張り出し

どうにか凌げてたのですが

ついにその一枚をコンビニで使った。

 

するてぇと

 

あれよあれよとなし崩しに

 

野口さんが消えて行く。

 

これは財布の中の福沢さんを見ていたから。

元から福沢さんを目にすることがなかったとしたら

きっとこの事態にはならなかった。

 

こりゃ例えが極端ですが

経験おありでしょ?

 

万札は崩すとすぐ使い切っちゃう。

 

これの超大型版が

先の先祖代々のお金持ちさんの

「戒め」

だと思うのよね。

 

でもとても良い言葉を聞いたと思います。

 

「お金は見たら減ると思え!」

 

持って銘すべし。

シミジミ思う私の過去なのであります。

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