自分を出せないと他人に利用される。

今までの私の生き方を振り返るに

他人様から言われたことに反対できず

 

結局利用され、

結構な金額をドブに捨てたことが

多いのに気がつきました。

 

では何故

 

「反対!」

「いや、今回はやめとく」

 

と言えず

それほど乗り気ではないことを

やる羽目になったのか。

 

胸に手を当てて考えるに

はっきりものを言えば

「嫌われる」

ことを極端に恐れる私がいる。

と気が付きます。

 

言い換えれば

「いい人」

を演じていたい。

もしくは

「関わっていてほしい」

 

そら誰しも嫌われるより

好かれる方を選ぶに決まってます。

ですが

それまで考えたこともない事を

突然申し入れられた時

深く考えもせず

 

「それいいね」

 

から始まる

もう後戻りができない状況

また大層な金額を使わねばいけなくなる

その結果は予定されているのです。

 

他人の評価を気にするあまり

自分がさしてやりたくもない事を

喜んで承知した様に行動する。

その結果

失う物が多過ぎて

家族に結果迷惑をかける。

その繰り返しでした。

 

何故失うかって?

それは当たり前ですが

言葉では「いいね」ですが

本心から言っている訳ではありません。

 

当然踊らされて乗った事業も

下調べはおろか、見通し

どこが目標なのか全然わかっていませんし

第一、本当に「身が入らない」。

 

誘われた甘言だけを信じ

「世の中甘くない」にぶち当たり

よって当然失敗して

後悔だけが残っているのです。

 

「あん時やめときゃ良かった」

 

今でもそうです。

現在事業を一つ立ち上げようとしていますが

勿論それは一人ではできません。

各方面で行動する方をお願いするのです。

 

思惑とは違い

その方達が言ってもいないゴールを

それぞれ勝手に目指し

で、逆に私の進捗状況が

「遅い」

とのお叱りを受けるのです。

 

が、私には私の思惑があり

それと歩調を合わせてもらわないと

段取りが狂いますし

当然その方達の

私の見る目が違ってきます。

それを言うか迷うのであります。

 

この様な性格になったのは

後天的なものと考えます。

「常に良い子」

 

でいないと波風が立つ。

 

先日友人の医師と話をしたのですが

それはまことにその通りなのだそうです。

 

残りが少なくなった人生。

せめてその終わりは

自分を出して生きて行きたい。

いや、出さねば「私」の存在自体を

私自身が認めぬまま終わらねばならぬ。

 

何も他人の存在を意識する必要はないのです。
他人様が私をそれほど意識していないのは
実はわかっちゃいるのです。

 

「こいつなら」

とダメ元で振って来ているのですから

「嫌よ」

と各節目で言っていたのなら

私の評価は違ったものになっていたことは

想像に難くありません。

 

もう他人に利用されるのはマッピラです。

 

その前に

「嫌われる度胸」

を超えなければいけませんね。

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