寮生活をさせて良かった。タフな子供になって行く。

子供の成長について思うこと。

「親はなくとも子は育つ」

 

とは良く言ったもので

最近それを実感する日々である。

 

うちのガキは小学校を終えると

一人遠方の学校の「寮」に入った。

 

まだ12歳であった。

今でも、今はなき寮食

クラシックな木造の寮の食堂前で

「じゃパパたち帰るからね」

と別れを告げた時の一コマは

昨日の事の様に鮮明に覚えている。

 

東京の受験の際は必ず同行したが

現在の学校のそれの時は

塾が連れて行ってくれたのであり

入学を決めて

式の前日の「入寮式」に初めて

その学校と寮を見たのであった。

 

以前にも書いたことがあるが

その寮を見た時

マジ、連れて帰ろうかと

考えたのである。

つまりボロかった。

それも各学年各二人ずつの六人相部屋。

いや八人だったかな?

木製の粗末な二段ベット

これまたロッカーとは名ばかりの

木製のタンス。

洗面とトイレは当然共同。

洗面ではお湯も出ない。

お風呂も当然古く

それに狭い。

脱衣場に入りきれず

運動場にはみ出してお尻が見えていた。

本当にビックリした。

し、我が子は大丈夫だろうか。

本気で心配した。

 

環境面はいずれ「慣れ」るとして

他人と一緒に生活する。

その環境に果たして適応するのか。

それは今思えば

どの家庭もそう考えたであろう。

 

まだうちは九州であるから

何かあった時はどうにか帰ることができる。

また車を飛ばせば迎えに行くこともできる。

しかし遠方から

すぐに家に帰ることのできない

ここに送り出した家庭の

思いは如何許りであったろう。

それを思えばまだウチは恵まれていた。

 

それから数年の後

寮が新築された。

 

これは大変立派なものである。

当時の校長先生の趣味であろう。

大層カラフルで

モダーンとはチト違うが

斬新なものであった。

そして備品も立派なものに一新された。

そこで相部屋を数ヶ月、

高校に上がって個室を当てがわれた。

全て真新しく

快適。

 

が、子供は2年まで居れる寮を出て

下宿を望んだ。

 

本来は3年からであるが

許可が下りれば2年からでも可能である。

 

彼が何故下宿を望んだのか

 

不審には思った。

以前子供と話した時のこと。

 

「今までで一番良かったのは旧寮だった」

 

驚いた。

お世辞にも綺麗とは言い難く

設備も不十分。

その中で新しくできた友人たちと

苦労しながらワイワイやって来たことが

とても楽しかったそうだ。

 

中にはホームシックにかかる生徒もいる。

しかし子供曰く

 

「そんな暇はなかった。」

 

意味がわからなかった。

続けて

 

「楽し過ぎて」

 

新寮ではその感覚がなかったそうだ。

その感覚を持った子供を頼もしく思った。

 

多分、子供を手元に置いて

これまでの時間を過ごさせたのなら

この様な感性を持ち得なかったであろう。

 

子供同士

同じ不自由苦労悩みを抱えながら

どうにか道を見つけ

それを快適な環境に変えてしまう。

そんなタフな感性を育ててくれた

ボロい旧寮に感謝である。

 

想像するに

反抗期同士のガキがぶつかり合うのだから

繊細な時期にあって

親が思う以上に悩みはあったと思う。

 

たまにしか会わないのであるが

そのたびに大人びて行く子供の顔を見て

また話をして

親が何も教えずとも

 

「子供は自ら成長を欲するもの」

 

確信めいたものを思うのである。

 

ただ

「楽し過ぎた」時間に

もっと勉強してくれていたら

現状はないのであり

その点は慚愧の念しきりである。

 

あの学校は補講も課外もない。

塾も禁止。

 

親としては

 

「じゃ子供の成績押し上げるのに

学校はもっと尽力責任持ってよね。」

 

と言いたくもなる。

 

多分

今頃、後悔と焦りで

彼の心は満たされているであろう。

 

まぁそれも自身を成長させる

一つの過程であるから

「大いに悩め。」

と言いたいのではあるが

残された時間を思えば

 

親は子供以上に焦るのである。

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