アイフォン10年目の節目は、期待ではXではなかった。

13日に発表されたAppleの新製品群。

 

なぜか「芳ばしさ」が足らないとは14日に書きました。

iPhone発表から10年。

一つの節目と勝手に想像していたせいでしょう。

 

10年前はこれがこれになった。

これは画期的でありました。

その前からiPodとして製品的な魅力は

素晴らしく完成度が高かった。

その期待はiPhoneの完成度にも

もたらされ

その製品軍の統一感と先進性で

「物欲」を掻き立てたのです。

 

改めて手に持つと

その絶妙な大きさに改めて感心します。

掌の中に収まり丁度良い。

機能も画期的。

画面をタッチして操作する。

何もかもが「新しく」感じたものです。

 

当然工業製品で一般市販向けなのですから

「革新」は続けなければいけません。

後発メーカーも「売れる」となったら

続いて来るでしょうから。

 

次のiPhone5はこれまた魅力的でした。

それはデザインによるところが大きい。

大変質感の高いデザインでしたね。

 

それから年月を重ね

もう10年。

今、私がAppleに期待した新製品は

 

もうデザインではなかった気がします。

 

そりゃ性能が上がったのは認めます。

しかしその点では二世代前のものでも

さほど不便は感じないものばかりなのです。

 

では何を期待したのか。

下馬評で散々次世代のiPoneが噂されていましたから

それは現在の性能をアップしたそれと

少しデザインが変わったものとの認識でした。

 

「あのAppleの事だから!」

 

現在のスマホのデザインと機能を

全く覆す「何か」を期待していたのでしょう。

何しろ「10年の節目」でしたから。

 

コンピューター会社のアップルが

電話機を世に問う。

それは実に画期的で

そして期待を裏切りませんでした。

 

同じことがPCにも言えます。

windowのマシンでも

HPなどは薄くデザイン的に魅力的な製品を

次々と世に出しています。

先日の鹿児島行きに、

このMacBookProを持参しましたが

重く、特にMacだからとの意識は

薄くなってる自分に気がつきます。

 

スティーブジョブズさんが身罷って

もう数年経ちます。

彼がいたらこの節目の年に

この製品群の発売を許可したでしょうか。

 

更に革新を求めて

人々が「アッ!」と言うものを

 

創造してくれとは

無い物ねだりなのでしょう。

 

救いはOSの進化は止まるところを知らず

ますます使いやすくなっている。

その点は評価できますよね。

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