アルツハイマーの父について。

昨日の続き。

 

の前に昨日Appleの新製品が発表されました。

今回のiPhoneどうなんすかね?

あとwatchも。

Xも発表されましたが

「な〜んとなく」感が漂いますなぁ。

なんかこう「芳ばしさ」が無い様な。

は、置いておいて

 

母親との脳みそが沸き立つ様な会話を終え

 

父が入っている施設へと足を向けました。

 

発症してからもう何年でしょうか?

最近はとみに酷くなり

自分で歩くことも困難となっています。

 

当然会話は成立せず

こちらの呼びかけもわかっているのか否か。

一向に反応がないまま

面会を終え

帰ることもしばしばです。

 

昨日は施設にお邪魔した時は

父は車椅子で

入所者が参加しているゲームの輪におりました。

当然父はそのゲームに参加できる訳もなく

ただ車椅子に座ったまま。

やや下向きの虚空に目を向け見つめております。

 

私の来訪に気がついた職員さんが

父をその輪から外し

私に近づき易い様に車椅子を向けてくれました。

いつもの如く

 

「おと〜さん!」

 

と耳元で大きな声で呼びかけますと

なんと

今回は

 

「はい」

 

と返事をするではありませんか。

 

「あれ?!」

と思い彼の手を握り

再度

「おと〜さん」

と呼びかけ握る手に力を少々かけますと

これまた驚き。

 

握り返して来たのです。

 

これは一体?

単なる生体反応なのですかね。

力が加わった、それに対する反応?

 

それとも実は見聞きしたものがわかっていて

それを表現する術を失った結果?

 

アルツハイマーを発症し

それが酷くなり

これまたそれから奇跡の生還をした人は

私の知る限り存じ上げませんから

その世界のことは丸でわかりません。

誰であっても。

 

当然大昔は

 

「介護」の概念がありませんから

一人で食物を摂取できなくなりますと

それにて人生は終わりの筈でありました。

 

それが今日では人工的に栄養も摂取できますし

身の回りも世話してくれる。

今までお終いだった筈の生命が

永らえる事が可能な世界、時代となっております。

 

それなればこそ

今までは知らなかった世界が

私たちの目の前に顕れる。

 

まさに未知の世界ですな。

 

適度にボケはかましてくれるものの

未だに自我がはっきりしている母と

ものも言えず

何もわからない

いや、それは確実な表現とは申せませんが

少なくとも自我を表現する術をなくしている父。

 

残された時間を過ごすには

どちらが良いのか、

近い将来訪れるであろう己を振り返り

考えみる時、考えちゃいますよ。

 

つか、誰しも言うことではありますが

子供には迷惑かけたくないですな。

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