親と子の意識の違いについて考える。

恒例の実家詣で。

 

昨日も行ってきましたがな。

 

毎回コマネズミの様に

動き回らねばいけないのはともかく

昨日は母親と話していて

その意識のズレの大きさを改めて認識したのです。

 

最近母は年も年ですし

毎回「繰り言」の様な事ばかり。

それはそれで仕方のない事ですが

その記憶てぇのが

これまた都合が大変よろしい。

 

子供の私から見ても

当時本当の子供だった頃から

母は度を越した我儘な方でございました。

 

それはとうにわかっていた筈なのですが

私の中に流れる血は、

父のそれが分量的に多いらしく

それと真正面からブツかって

「堂々の勝負」はした事がありません。

 

家庭がひっくり返る騒動も起こした事はない。

多分、目立った反抗期がなかった。

まぁ当時から

「事なかれ主義」の権化だったのでしょう。

 

遅きに失しましたが

自分の意見を他人様に言える様になったのは

ごく最近のことであります。

その為に私は家内等、他の方に

永き渡り

我慢を強いて来た結果となっています。

物理的にも精神的にも。

 

それが昨日、話をしていて

 

「こらアカン!」

となってしまったのです。

盛んに昔の苦労話を繰り返す彼女。

 

しまいには

「いつまで生きなきゃいけないのか?」

「人生は苦労ばっかりだ」

 

私の答え

「もうお迎えが来るからもうチョイよ」

とアッサリ。

 

だってもう何年もこの繰り言に

付き合わされているのですから。

いい加減本当の事を言います。

 

さらに追い討ちをかけ

「先が短いのだから楽しい事だけ考えなよ」

「昔の話したってその時に戻れる訳ないじゃん」

 

それが癇に障ったのか

結構な反撃にあいました。

 

曰く

「誰も会いに来ない」

「寂しい」

のついでに彼女は言ってはならぬ事をポロリ。

彼女にとっては孫

私の子供の事に話が及んだ時でありました。

 

それ聞いた私は

そのセリフは誰にも言えるものではなく

墓場まで持っていくつもりですが

速攻、ケアマネさんに会い

施設の入居ウェイティング書類に

サインをして来たのであります。

 

母は独居を強く希望しているのでありますが

かかる煩雑な毎回の手続き、支払い、維持費

それに独居ゆえの彼女の精神的な歪み。

 

ケアマネの先生も母の実像を知っており

私の心労も解ってらっしゃいますから

 

「これ、保険だと思ってて」

 

と一言。

救われました。

 

この話は続きます。

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