「坂の上の雲」ならぬ「坂の下の水溜り」?

司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」。

 

から書き出そうと思ったのですが

 

いきなり話変わって

つか、思いついて

 

「司馬」ってすげぇ名前つけたものです。

 

中国の昔の本読んでると

その姓が出て来ます。

 

有名どころでは「司馬遷」ですが

司馬姓は元々は官職名。

司馬遷だからと言って、

別に軍務についていた訳ではないのですね。

 

彼のもっと前

その姓は官職名だったのです。

 

彼の代表作

と言って良いのかしら?

 

「史記」。

 

スンゲェ大作ですが

これまたわたしゃチト考える所がありまして

 

なんとなれば

だってそうでやしょう。

 

司馬遷さんが記述した「いにしえ」の事は

時間の流れを現代に置き換えますと

紀元の頃まで遡って書いているに等しい。

だって殷とか夏が出てくるんだもん。

何を根拠に書かれたのか

不思議ちゃ不思議なのです。

 

私に取っては。

 

と、ここでまた話変えて

現在の子供達

そうですねぇ、小学校高学年?

に「将来何になりたいか?」

とのアンケートを取ったところ

「フツーのサラリーマン」

 

との答えが男子には多かったそうな。

 

何を持って「フツー」と言うのかは

別の問題として

要は

「大きな変化を望まない。」

「過不足なく穏やかな暮らしがしたい。」

と言うことなのでしょう。

 

そこで冒頭の司馬遼太郎さんが良くお描きになる

明治維新前後の我が国「日本」の夜明け。

 

貧しいけれど

読み書きと計算ができるようになれば

それまで人材としてカウントされなていなかった

地位の人も努力次第で将来を開くことができる。

 

だからこそ

登っていく坂の上の青い天に

一朶の雲が輝いていたとすれば

それのみを見つめて登っていくであろう。

↑引用です。

 

そんな溌剌とした元気が我が国の若人に

漲っていた。

 

ところがところが

全てご破算になった戦後、

これまた貧しかった時代に

懸命に頑張って

Made in Japan

を世界ブランドにまで押し上げた迄は

良かった。

 

多分。

 

それから飽食の時代を経て

現在は超デフレ。

 

「失われた20年」の間に成長した子供たちは

喪失感と閉塞感に知らず知らずに

蝕まれた様子。

 

その状況を

ある人が表現したのが表題の

「坂の下の水溜り」

 

この言葉を聞いた時は

面白いんだけど

マジ笑えませんでしたよ。

 

なんせ青い天が見当たらず

登っていく坂がなくて

「降っていく坂しか見えない。」

らしいのですから。

 

しかしまぁ

良く思いつくものではあります。

 

アイキャッチは修復中の熊本城遠望です。

 

これ出来上がったら

熊本県って元気になるのかしら?

な〜んてねw

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です