身内「親戚」の数は多ければ良いのか?断固「否」である。

昨日に引き続き「親戚」の話。

 

親戚には概ね2派がある。

特段何も感情を持たぬ

そして冠婚葬祭の時も普通にこなしてくれる

例えば「包む」金額にしても

常道を逸しない程度で

安心できる一派。

 

もう一派は

事あるごとに

それこそ大ごとにしたがる一派。

 

そう言った輩に限って

「包む」とき

「エッ?」

とビックリする様な金額を包む。

ここぞとばかりに。

何事にも大仰である。

 

先日の父の施設への見舞いも

実に

「大名行列」であった。

すぐそばに住んでるんだから

気軽に行けばいいじゃん。

 

それを大層に

と言うか

私に向かって言ってはいけないことも

平然とのたまう。

 

多分当人は気がついていないと思うが

父の兄妹の一人から

「いつも良くしてもらってetc」

とのお言葉を頂戴した。

 

父がまだ元気だった頃

それこそ目の敵の様にして

あの手この手で我が家の財産を

かっさらって行った輩からである。

 

実に平静を装いながら

心の中に嵐が吹き荒れていた。

 

父である。

その子が面倒を見ていることに向けて

言う言葉だろうか。

 

その時思った。

「あ〜 この人たちには俺は他人なのね」

 

確かに私はそこに居住したこともない。

顔見知りもいない。

大きくなって初めて会う親戚もいた。

 

悪ぅござんしたよ東京出で。

家内のことにも触れられ

 

「この頃は全然お会いしないけど」

 

そりゃそうだ

私が止めてますもん。

家内と話が合うわけないじゃん。

彼女がガチギレしたら私も止められないし。

 

それに

家内は狸穴出だぜ。

親父も

そのまた親父も

そのまたまた親父も。

限りなく狸穴なんだよ。

話合うわけないだろうが。

 

悪いけどさ

修学旅行で初めて箱根越えた二人だぜ。

これまた悪いけど

父母が済んだら「切る」よ。

 

良く母は口にする。

「身内が少ないんだから」

 

母方の親戚は確かに少ない。

実はいるのだけど「少なく」したのも

母自身なのである。

 

しかし自身で道を切り開いてきた

また切り開かねばならぬ人生において

それ程「身内」の数は重要なのか?

 

わたしゃこの手のウエットな親戚は

要らないんですけど。

 

とウダル様な暑さの中

冷房の効いた部屋で

冷静にこれを書く私がいましたとさ。

 

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