肯定されても否定されても動じない「私」が欲しい。戯言注意w

置かれた環境で同じ景色も違って見える。

 

淡いブルーの空をゆっくりと

流れ行く雲に視線はなぜか釘付け。

 

昨日は暑かった。

「梅雨は何処に行ったの?」

である。

当然エアコンを入れるべきであるが

なぜか窓全開で流れる雲を見ていた。

 

同じ「雲」でも碓氷峠を抜けて見えるそれは

遥か西国当地のものとは明らかに違う。

 

湿度も当然あるのだが

要は気持ちの問題である。

彼の地では窓全開は大層気持ちが良い。

 

それはさておいて

今、なぜ私はここにいるのか?

 

実に不思議である。

まま、家庭環境なり事情はあったにせよ

憲法で保障された権利を行使していない。

 

私は現在居住している場所に固執する理由はない。

別に居住したい場所はあるのである。

しかしそれは叶わぬ。

 

理由は至極簡単。

金がないのである。

 

金がなけりゃ権利を行使することはできぬ世である。

当然である。

 

が、不思議でもある。

 

何かがおかしい。

 

それは多分私の頭であろう。

まず否定から入ってしまう悪い癖。

この年になっても直っちゃいない。

 

肯定されんが為

親の近くに住まい

その近辺でおマンマにありついてきた。

 

その時に精一杯貯金に務め

在所を変え

毎週飛行機でこの地に固執する親を

見舞いに来れば良かったのである。

それが出来るだけの仕事はした。

 

が、浪費もした。

 

故に現在権利を行使できない。

全て結果論である。

「あの時こうしときゃ良かった」

連続である。

 

が、

ふと気がついた。

 

過去に固執しても何も生まれない。

肯定を望んで肯定されても

私自身は何も変わらない。

否定されるのも厭わない。

「ブレない自分があれば」

である。

 

数年先

御隠れになった後

何処でこの空に浮かぶ雲を眺めているのか

妙に楽しみな自分がいる。

 

しかし

「今日は暑いな」

また空を仰ぐのである。

 

アイキャッチはイメージです。

実際は窓の外はビルであります。

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