メメント・モリの様々な解釈。

汝の死を思え。

 

と良く表記されますが、これは本来の意味であるのか?

 

このラテン語の語源についてはご案内の通り古代ローマ時代に遡ります。

解釈にについては時代によって様々ですね。

 

なぜ今日はこの話題なのか?

 

土曜日の東名高速での事故。
あのバス側のドライブレコーダーの映像
実にショッキングでした。

 

反対車線から車が飛んで来た。
文字通り「飛んで来た」のであります。
CGでも映画でもありません。

 

私も月に何度も高速を利用しますが、これは予想だにできぬ事。
まさに「想定外」なのです。

 

自然災害にしてもそうですね。
昨年は実体験までしたと言うのに。

 

先ほど解釈は時代によってと申し上げましたが、現代に生きる私としましては文字通り平易な解釈しかできない。

いつ訪れるかわからないその時に備えよ。

 

でしょうか。

自分を律して真っ当な人間として生きていこうと決心しドアを開けた瞬間に想定外でご破算となる事だって当然あります。
私の場合は特にですね。

「懺悔」が多いのですから。

 

世に中「予定調和」の上に全ては計画されています。
それは全体としてであって「個」が消滅しても大勢には全く影響ありません。

 

しかしその「個」にとりましてはかけがえのない人生なのであります。
それが全く予期せぬ瞬間に終わりを迎える。
「あれやっとかなきゃ」
「あれ始末しとかなきゃ」

 

その後、残された方にやってもらう羽目になるのですが、それにて生前の「個人」に評価、印象が後世に残る。

 

これは私としては実に困る。
だって残った私の生きた痕跡には「なんじゃこら?」のものが実に多いのですから。
当然「あの人は!」の評価が当然後世に伝えられるでありましょう。
実に困る。

 

ですからね
今、その瞬間を迎えても自身に悔いはないのか?
が一番なのですよ。

 

さらに申し上げるなら自身の現在までの生き方に大層不満であります。
突然「お迎え」が来られても、未練タラタラの生き様しか現在はないのです。

 

真っ当な「正統派」としての足跡をこれから残しておきたい。
誠に切実に願っているのであります。
もっと勉学にいそしみ学派としてまともな学問、考え方を身につけたいのであります。

 

自分が気をつけていても災難は突然無関係に襲う。

 

今までは考えても
「私にゃとてもじゃないけど」
と俗人の権化である私は眺めていたことがあります。

仏門に入るか誓願を立てる。

 

私としては今まで実に不可解な人々でありましたが、最近意味がようやく解りかけて来たのでありますよ。

 

アイキャッチ、引用の動画は全てANN NEWSさんのYouTubeからです、

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です