「それがないと死ぬのか?」で可否を問う友人の基準が面白い。

自分のこれからの人生が狂う。

 

との基準で様々な降りかかる問題に

対処する友人がいます。

 

先日、久しぶりに遠方に行っている友人と

お茶しました。

彼とは20代からの付き合いになりますから

相当長い。

商売っ気抜きでこれだけの長きに渡り

付き合いが続くのですから

何かウマが合うのでしょう。

 

数年前、遠方に居を構え

思い出した様に熊本に来るのですが

その度にお茶をします。

 

大変にこやかで温和な語り口。

世界的に大きな会社の上まで

登ったのですから、

その能力も私が測れるものではありません。

 

話していて大変面白い側面を見れました。

物事に当たるとき

例えば子供さんから

頼まれ事をされた時であるとか。

彼の問いは

「それがないと死ぬのか?」

 

だそうであります。

するてぇと

「死にゃしないけど」

と答えるしかありませんよね。

「だったら答えはNoである。」

おしまい。

 

非常にシンプル。

 

当然ながら話していてあらゆる物の価値観が

違うことに気がつきました。

彼も当然それはわかっていて

お互いを説得なり納得させようとは

無駄なこと。

お互いを認めて、

その上でお話をするのが楽しい。

だそうです。

 

で、自分とは違っていても

相手の人柄が認められるのであれば

自分には大事な友人。

それが何かことを起こす時

その縁が縁を呼ぶ。

 

それは決して自己の利だけ求めても

成就しない。

無理に自分の意に反することを

義理であるとか

世間体を考えると

後に自分が後悔するし

また事も成就しない。

 

子供の育て方も大変面白い。

子供には子供の人生があるのだから

親が干渉すべきではないし

また子供も自分の行った事

決めたことには責任を持つべし。

が、基本方針にあるそうです。

 

私は子供の受験を控え

それが今の心配と言いますか

気になる主なものですが

それは彼も認めます。

なぜなら

私のことでありますから。

 

それは認めた上で

彼は自分の子供では気にはしない。

「進学しまいが選ぶのは子供である。」

干渉はしない。

これは彼の方針。

 

元々、自身も含め

進学が前提の私にとっては

まぁ非常に新鮮と言いますか

現代でも

こんな男も周りにいたのね。

話す度に

驚きが増す不思議な友人ではあります。

 

そう言えば

彼がNoと言った時は

最後までNoでしたし

しかしYesと言った時は

必ず結果を持ってきたのでありますよ。

 

それがあればこそ役員まで

登れたのでありましょうし

それを認めた会社もエライ。

 

やっぱ大きな会社は

売り上げだけではありませんな。

 

見る目ありますわ。