「誰かに認めて」欲しい!承認欲求のお話。

誰しもあると思うのですよ。

「誰からか認めて欲しい。」

 

そりゃ皆んなが皆んな

私を認めてくれる筈もないし

そんな大物でもないことは承知してます。

しかしですな

誰かが私を理解して、

さらに認めてくれてたら

こんなに自虐的には

ならずに済んだと思うのですよ。

今までのこの人生。

 

と言いますか

これだけ現実で人に裏切られ

 

あ、「裏切られ」とは

こちらの勝手な思い込みかも知れませんね。

あちらさんは

私の事などツユほども

気にかけてらっしゃらなかった。

 

で、大層苦労しました。

現在もその「余震」は続いていますが、

そんな私的かつ物理的な部分はさておき

私どもは人間は

精神生活に営み無しには

現実生活は成り立たないのであります。

 

その人間の人間たる所以の

精神生活。

これを誰かに認められたい欲求は

本能的なものであると考えます。

 

考えている事

それに基づいた自分の言論

その類を認めて評価されたい。

 

現在私も

「認められたい症候群」

に罹患中なのですね。

他人にばかり賛同するのでは

満たされぬ自分の何かが蠢き始めています。

 

それと同時に

「陰」の部分。

これもまたどなたもお持ちかと存じますが

「僻み」「妬み」ですかね。

それも同時に蠢きだします。

 

例えば

あまたある書籍の数々。

新刊が次々出ていますが

その内容は千差万別ではありますが

啓蒙書の類には

読み終わりますと

 

「だから?」

 

「で?」

 

ツッコミを入れたくなる内容が多い。

 

「なんと大仰な」

 

薄っぺらい内容を

「さも」

と読了後の感想になる事が多い。

 

あ、個人的な見解です。

 

それでも厚顔にも出版できるのは

読んでその評価をできない方が

多いのではないかと。

つまり持論を持たない。

耳さわりの良い檄や言葉に

順応してしまう「素直」な方が多いのかと。

出版を勧める会社も

当然先刻ご承知です。

この現実を。

 

でもね

それって執筆側にとっては

結構な充足感をもたらすのですよ。

「認知されてる」

「承認されてる」

これって非常に大事。

 

執筆者にとってですよ。

 

人間の根幹的な欲望である

承認要求が満たされるのですから。

 

おまけに

「本を出した」

と経歴も心地良いですものね。

 

思うに「気づき」が他人様より多少早く

それを声高にそのフィールドに

知らしめることができる方。

そんな方にはコアな取り巻きが増殖し

その連鎖は綿々と続き

いつの間にか「御大」となる。

周りはどうでもいいのよ。

自分が満たされれば。

と、穿った見方もできますよね。

 

そんな斜めにしか見れぬ

そして動こうともしない

自分が恨めしいのでありますよ。

 

この現実生活と精神生活の歯車のズレ。

これをうまく噛み合わせたいのです。

精神生活の健全化が足らない事までは

わかっているのですが

このズレを修正するのが難しい。

 

すぐに「じつは心にもない」

人様への迎合と言う

事なかれ主義の

卑屈な性根が顔を出すのであります。

 

噛み合ったら

と言いますか

いや

精神生活の充足は

現実生活の充足に他なりませんから

万事OKなのです。

 

自己満足の世界ですもの。

 

 

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