試案。繰り返す事で意識を固定化する。

「人の目を気にする。」

 

誰しもあるとは思いますが

私は人一倍それが強い。

 

「気にする」

ではなく

「忘れられる」恐怖ですね。

 

自分の相手に対する思いと

それが同じでしたら

安心もするのですが

それが乖離を始めた事を意識し出すと

恐怖なのです。

 

例えば数年前まで

頻繁に連絡をとり

会っていた人が

「あれ そう言えば最近ご無沙汰よね。」

もうこうなりますと

居ても立っても居られなくなります。

 

頭の中はそれに占領されて

なに考えても自身に自信がなくなり

「俺ってダメよね」

となってしまうのです。

 

無気力になる。

それは裏返すと

「怒り」の感情から来る様な気がします。

これについてはいつか書きます。

 

人の目からみて自分がどう見えているのか。

とても気になります。

俗に言う

八方美人です。

 

この原因を探りますと

子供の頃からの感情に

まだ縛られている事に気がつきます。

人から忘れられない存在であったら、

目立った子供だったら、

現在もですがそうであったらいいのか

とも思うのですが

長年の習性と申しますか

形成された人格は

カラオケ、宴会に行っても

ハシャぐ事を許しません。

 

何故なのか?

 

思い返せば

我が家は緊張の連続でした。

常に夫婦喧嘩が絶えず

当然子供ですから

介入はできませんから

場の雰囲気を変える様な

また

「我関せず」も

はしゃぐこともできない。

 

なるべく穏便に。

さらにこれ以上事態が悪化しない様に

目立たぬ様に

ひたすら密やかに。

 

しかし常に心配の連続。

父が帰宅する度に

過激な母が今夜も

何事か仕掛けるのではないかと

常に心配ばかり。

一旦事が起きますと立っている

「地面が割れる」

そんな気がしていました。

で自分がなすべき事。

波を立てぬ良い子。

これしか道がなかったのです。

 

孫子いや孫臏だったかな?

「微になるかな微なるかな無形に至る」

を無意識に実践していたのですね。

 

母と二人の時も

その習性が抜けず

なるべく神経を逆なでない様に。

 

思えば悲惨な子供時代ですよね。

逆に事態がどの様に動いたのか。

それが誠に気になる子供でもありました。

 

ここまで「大人」になっても

波を立てない様に。

良い人と思われているのか気になるのです。

 

ではどの様な対処方法があるのか。

 

気に入られる方法の一つとして

誠に下卑た方法ではありますが

「へりくだる」

これにたどり着きます。

決して褒められた方法ではありません。

 

近年

「近々会えます?」

とお尋ねして

しっかりこちらを

見てくださる方がいらっしゃいます。

 

ただ今

この「繰り返し」により

捻じ曲がった根性を

適正な価値観に「固定化」している

真っ最中なのであります。

 

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