「見て見て」「認められたい」症候群。この感情は面倒です。と我が身が申しております。

本日は別の角度からの

「否定」の考察。

ひとつお付き合いの程を。

 

私の場合ですが

他人様から

「一目置かれる」

「認めて頂きたい」衝動は

いくら自分で否定しようとも

根底にはあります。

 

ディベートでしたら

相手を論破しても何の問題もないのですが

事、現実生活ではいらぬところに

存在感を主張せんが為

「違」を唱え

相手を論破した結果

それは惨憺たるもので

逆に「株」を下げる結果になる事が多い。

 

実損を出すか

予定通り予算が行かない。

です。

 

自分の意見が通り

それに従い一致団結

目標必達、即行動していても

何かしらの違和感を感じつつ

自分が吐いた言葉の修正に陰で苦労する。

 

さらに言葉を巧みに使い分けながら

「ひっきょう」にも

論旨を微妙にすり替えながら

自分が吐いた言葉に

自分が縛られて行く。

 

多分その時点で皆さんに

バレちゃいると思うのですよ。

私一人が子供で、実は周りは大人だった。

「例え」ですけどね。

 

そんな事はしょっちゅうでした。

 

で、

結果はついて来なかった。

特に経営者としてやっておりますと

他の意見に「従う」のを

潔しとしない傾向が強いのです。

 

私だけかな?

じゃ、

なぜ「違」を頑なまでに主張するのか。

 

「私は他と違うのよ。」

ですね。

実は違を唱えることですらも

「私を見て見て。」

なのです。

自分でもわかっちゃいるんですけどね。

曲解に曲解を重ね

無理に誘導している事ぐらい。

 

このブログもしかり。

かも知れません。

今までお読み下さった方が

私に対して

どの様な印象を持たれているのか、

気になるところではあります。

 

そら、人間ですもの

泥臭いところは沢山あります。

また人が憧れる様な生活もしておりません。

それを

ストレートに書いているかと言いますと、

答えは「否」なのですね。

 

逆に

そりゃ頭の中だけの建設的な事、

書こうと思えば書けます。

でも実際、

そんな「前向き」な人間ではありませんから

逆手に取って弱みを見せる事を

一つの方法論として

用いてる部分もあります。

 

それもこれも

「私を見て」

でありまして結果として

「人から認めて欲しい。」

潜在欲求の顕現。

 

私は実は「硬い」書き方を好みます。

しかしそれでは読み手の幅が狭くなる。

言葉を選び、表現を変えて書く。

多少の生活のスパイスを効かせながら。

 

それでも何故書くのか。

「みなさんから認めて欲しい。」

 

その欲求が主になりますと

本末転倒。

自分の首を絞める結果になるのは承知です。

誘導したのは己でありますし

結果「認知」されないかも知れません。

 

しかしこの「認められたい」の感情は

ナカナカ手強いのですよ。

俗人には。

 

そろそろ本音が出始めましたかね。

 

お粗末。

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