経験値の少なさから陥るパラドックス。これは教えを乞しかないでしょ。

「ものは考え様」

と言っては自分を納得させる。

 

取り掛かったは良いものの

思った様に結果が出ない事は良くある話。

特に出た結果について他人様と

優劣がついた場合などの常套句ですね。

 

自分は騙せないものでして

結果についての言い訳は考えるものの

実に失敗である事

もしくは

「失敗するであろう」

過程真っ最中である事は

自身が一番良くわかっています。

 

何故結果が思う様に出ないのか?

いや、出せないのか。

失敗するとわかりつつも

何故方向転換しないのか。

考えるに

「ものを見る角度」

が問題ではないのかと。

 

実生活に於けるその問題点は

「経験値」の量ですね。

経験値が少ない事は誠に不幸でありまして

自身の考えに

「固執」

を産むのであります。

 

どうしても私の特性としまして

自分の考え方と違う方法論を聞きますと

まず

「否定」

から入って行く悪癖があります。

 

それは生理的なものであったりしますが

では何故、生理的な否定を産むのか。

 

過去の経験から生み出された、

自身の経験から導き出した方法が

一番可愛いのは誰しもですが

それが自身で思うところの「スマート」、

他より優位に立ちたいとの我儘故なのです。

特に過去一度でも成功体験がありますと

尚更であります。

 

「他を認めたくない。」

もしくは

「自分が認められたい。」

もしくは

認めたくはありませんが

「上から目線」。

 

それが何より重要である

「結果を逃す」結末となっているのです。

 

その性格を「個性」とも表現できますが

決して褒められたものではありません。

実際その渦中にありますと

ある種のパラドックスに陥ります。

 

そこで信頼すべき方に意見を伺う事に

活路を見出そうと「もがきます」。

 

人にもよるとは思いますが

話す相手により

すんなり受け入れられる人と

全面否定したくなる人と

両方いらっしゃる事に気が付きます。

 

この辺りは自身の感性を

信じる他ないのでありますが

受け入れますと

そこは私の悪癖が逆に作用し

とことん信頼しますね。

 

話していて

まず肯定から始まり

諸々の話を一刀両断されても

不快を感じるどころか

「ああ そうよね。」

と過去自身が反応していますから

もう「決まり」であります。

 

そうなったら「しめたもの」。

その方の経験値がすんなり入って来ます。

 

「そうだったのね。」

の連続はある種の快感です。

ドーパミンだだ漏れ。

その方の「経験」が素直に聞ける。

と言いますか

実感として感じることができるのですな。

 

そしてその会話自体も

自身の「経験値」として

蓄積されて行くのです。

 

結論。

 

私の頭の自浄能力など知れたもの。

教えられ刮目すべきは

己の位置を知る

「俯瞰」。

少ない経験値からアプローチしても

問題は解決しない。

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