母の財布から思い出される我が家の暗黒の歴史。その6

私が熊本に来た理由ですが

父方の祖父の命によるものでした。

父の兄弟は姉はいるものの男は父一人だけ。

「そろそろ後を」

と祖父は考えたのでしょう。

それは私が結婚した後

祖父が私ども夫婦を呼び寄せ

別室であらたまり

正座させ言った事でもわかります。

「俺の人生はこの家を守る事で終わる。」

「次はお前の親父だ。」

「その次はお前だ。心しておけ。」

なんだかテレビドラマの様ですが

本当にあったのです。

実際ジィちゃんの仕事は

家の管理だけの人生でした。

「はい」と返事をして

夫婦揃って畳にオデコをつけました。

と言っても

父はまだまだ元気でしたし

当分は好きな様に

やらせてもらう積りでしたけどね。

 

ところがですよ、

相続すべきものが途中で消えていたのです。

よこしまな方はどこにでもいるものです。

今は詳しくは書きませんが

生前から画策し、ジィちゃん亡き後

親戚の一人が気弱な父を押し切り

ほとんど持って行ってしまっていた。

外から見ると

相続を放棄した様になっていたのです。

その事を知った他の親戚から

「判子ついたそうだな!」

と嵐が吹き荒れたそうですが

父は

「こんな事で揉めるのは見苦しい。」

と宣うた。

護るべきものを護らない。

信念がないと断ぜざるを得ません。

と言いますか「道」から外れている。

私も家内もその件については

現在も父には憤っています。

直接ジィちゃんから厳命され、

それを受けた以上

私の息子が継ぐものでもありましたから。

これもトンデモない「大事件」でしたが、

また別の機会に書きます。

 

家がその様な状態になっているとは

ツユ知らず

ジィちゃんから継いだもののほんの一部でも

「こんな不始末に使うとは」

と憤っていましたが

実際は我が家の蓄えは

底をついていたのです。

なぜなら「継いで」いませんから

色々渦巻く実家方面から

距離を置いていた期間が少々ありました。

お家騒動は重過ぎますし

彼の件も少々突き放しておりました。

何故ならその解決方法は

一つしかないと考えていましたから。

 

そんな中

ある日突然、熊本の叔父一家が

福岡に引っ越すと言う。

家も売払い根こそぎです。

もう良い年ですし

叔父は嫌がっていると聞いていましたから

「なんで?」

と、疑問しか浮かびません。

博多に慌てて家を買ってもいる。

首をかしげました。

確かに叔父の子供

従兄弟は一人博多におります。

彼女は離婚後、勤めを経て

本当に「鉛筆一本」から仕事を起こし

経営順調な会社をやっておりました。

先日も電話で話しましたが

誠に頭の切れる女性ではあります。

子供を2人育てながらですから

それなりに辛い事もあったはずですが

微塵もそんな事を感じさせない。

私は「ネェちゃん」と呼んでおりますが、

そのネェちゃんから聞いた話で

また私は「血」が引いたのです。

そう

また彼と母が

とんでもない事をしていたのです。

つづけますね。