現役科学者から見たノーベル賞の感想は意外だった。

昨日に続き学問とお金の話し。

学問を探求する上で当然必要となるのが

2種類の「お金」です。

 

一つ目は研究費。

それは莫大にかかりますが

幾重にも網を被せられ、

それは「お上」

若くは所属している機関から出ます。

 

問題は二つ目。

その研究者のいただける「お金」です。

 

我が国では

成果に対する報酬が見事に少ない。

 

と言いますか

「成果」が見えにくい分野では

確かにあります。

世界で論文が高く評価されているのに

国内では誰も知らない。

報道もされません。

しても皆さん「食いつかない」。

だからでしょうか、

報道されない。

誠に「地味」。

 

その話題に直接関連はなかったのですが

質疑応答で面白い質問が飛びました。

 

「科学者に取ってノーベル賞とは

本当はどの様な位置付けなのか?」

 

返ってきた答えは

 

「この世界では広しと言えども

先端では横のつながりは当然ある。

ですから、印象としては

隣のおっさんが取った様な感じ。」

 

だそうです。

 

さらに続きます。

 

「ノーベル賞と言えど、時の話題性もあれば

当然賞を決める研究所に

推挙するつながりもある。」

「人類に貢献する研究は沢山あり

特別な賞とは感じていない。」

ただ

「賞をいただいて嬉しい事は

お金が頂ける。」

「賞以降講演費が、いきなり跳ね上がる。」

 

実際、賞を取る前に来てもらった先生に、

賞以降に来てもらったのだが

10人足らずの講演、と言うか座談会に

出席いただいたところ

以前の10倍以上の

講演費となってしまったとの事。

それは賞を取ってから

20年経っても変わらない。

 

聞いて納得。

もっともですね。

 

賞自体で頂ける金額は、昔は知りませんが

現在では「お〜」とは言えぬ金額です。

でも確かに講演については

格段に「ご依頼」が増えるでしょうし

その金額も桁が違ってくるのでしょう。

それは「講演」だけには留まらない。

それも世界規模で。

 

実に誠実な質疑応答でありました。

 

そして

「問題は文明開化以降先達が

諸外国から学び、それから営々として

築いて来た基礎研究が危うい現実を憂う。」

 

基軸通貨まで登り詰めた「経済大国」が

随分遠くなった現在、

極東の小さな島国で、

その存在感を示す学問の分野でも

それは起きつつあります。

 

頭脳流失が叫ばれて久しい。

価値観は時代によって変わります。

象牙の塔にお金の話は

「ヤボ」の時代は過ぎているのでしょう。

 

私とは

全くジャンルの違う世界の講演でしたが

実に興味深く、実り多かった。

 

結論。

 

「外」に出るものではあります。

 

アイキャッチ出典はNobel Prizeです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です