母の財布から思い出される我が家の暗黒の歴史。その7

先日NHK放映のTED

良かったですね。

ブータンの首相の飾りのない語り口。

主題は「二酸化炭素」でしたが

国の「幸せ」の定義が素晴らしい。

まだ途上ですが実現するといいですね。

 

「普通」でいる事の難しさ。

周りの「普通」の家庭が羨ましかった。

まぁ側で見ている程では

ないのかも知れませんが

それぞれ悩み問題を抱え

「隣の芝生」なのかも知れませんがね。

 

「自己破産させろ!」

が余程効いたのか、その電話以来

しばらく鳴りを潜めていた実家方面。

原因とその過程には

大いに承服出来ませんでしたし

冷たい様ですが関わりたくなかった。

結婚後のジィちゃんの言葉からもわかる様な

古い「家」に入った家内の心中を思い

それだけならまだしも

更にこの騒動。

私は家庭が大事。

護るべきはこの「家庭」と決めていました。

「なる様にしか成らん」と。

ですが、甘かった。

またもや一本の電話から

その静けさは破られました。

 

母は「いよいよ」と言いますか

どうしようもない状態になってから

私に伝えて来る悪癖があります。

今回の電話は最悪でした。

正に悪夢。

結果から先にと言いますか

鳴りを潜めていた期間

何が起こっていたのか書きますと、

母はゴキブリを一匹ずつ潰していたのです。

彼の申告を元に金額と聞き

彼に金を持たせ始末させると言う

「カモネギ」スタイルで。

しかし我が家の蓄えは底をついていたはず。

どうしたのか?

叔父一家の蓄えを母が頼み込み

引き出していたのです。

途中まで沈黙していたネェちゃん。

金を渡している事は知っていたそうです。

でも金額と期間と回数までは知らなかった。

叔父と同居していた妹から

実際を聞き、その額に、その期間の短さに

大層驚き、怒り

気の良い叔父ですから

このまま行けば家が潰されると判断。

速攻「見切り」をつけ

有無を言わせず

博多への移住を断行したのです。

 

その判断は実に正しかった。

現実的に「縁」を切らなければ

どうしても関わりが生まれます。

もう既に叔父一家の蓄えも

底が見え始めていたそうです。

結果どうなったか。

原資がなくなったのですから

ゴキブリを潰す事が出来なくなった。

次にどうしたか。

もうバカとしか言い様がないのですが

父名義で銀行融資を発生させていたのです。

それをサラ金に。

絵に描いた様なバカっぷり。

しかし実際にサラ金に返済していたのか?

「カモネギスタイル」で彼に金を渡して

返済させていたのですから

私はそれにも疑念を持っておりましたが

後にそれは確認されるのです。

当時のサラ金はとんでもない高金利。

それに規制が相当緩かった。

おまけに彼は「公務員」。

星の数ほどあった当時のサラ金から見ても

まさに「カモネギ」。

金額は現在に至るまで言いませんが

その返済に実家は

長年苦労する事となったのです。

 

嘘に嘘を重ね

「もうこれが最後だから」と

ズルズルとお金を垂れ流し

始末する事も出来なくなった。

それでも

「誰かが助けてくれる」

まるで子供です。

また、それを鵜呑みにして

助けるバカもいたのですがね。

 

引っ越した叔父ですが

年を取ってからの知らない地での暮らし。

慣れぬまま、その数年後亡くなりました。

誠に叔父一家は気の毒でした。

 

つづけます。

 

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