母の財布から思い出される我が家の暗黒の歴史。その2

当時私はまだサラリーマンでした。

薄給でしたけど、

それなりに平和な日々。

その頃、

私はオートバイにはまっていまして

休日には家内を後ろに乗せて

良く出かけていましたね。

熊本は自然を満喫しながら

ツーリングするには

「もってこい」の地ですものね。

家内も初めて見る景色に喜んでおりました。

で、普通に平日は仕事。

たまに残業で遅くなる事はあっても

当時下手くそだった

家内の夕食を一緒に食べる。

そんな極ありふれたある日の深夜

一本の電話がかかってきたのです。

 

母からでした。

それはそれは尋常ならざる声でした。

内容は、昨日書いた彼がいなくなった。

「荒尾の競馬場の駐車場にいるかも知れない。見に行って来い。」

でした。

何を言っているのか理解できません。

が、狂った様に叫ぶ電話口の声に

圧倒され家内と共に行ったのでした。

この場合は「車」で行きましたがね。

競馬場もそうですが

「荒尾」にも行った事がありません。

当時はナビもスマホもありませんから

地図を頼りに苦労しました。

どうにかたどり着き一通り見回しましたが、

おりません。

かなり遅くなりましたが

いなかった旨電話で伝え

「なぜ競馬場?」

「いなくなったとは?」

と尋ねますが言葉を濁し答えません。

遅かった事でもあり

その晩は、いや明け方近かったですね、

とりあえず床につき、明けて翌日は仕事。

帰宅するなりまた母から電話。

今度は久留米へ行って探して来い。

母がテンションマックスの時は

何を言っても無駄でありますことは

幼少より身に染みてますから

また家内と共に久留米へ。

砂浜で落とした針を探す様な事を

本気でやらせる母は、当時本当に

おかしくなっていたのかも知れません。

これは尋常ならざる事態が実家方面で

起きている事は容易に察しがつきます。

つかなかったら逆におかしいですよね。

当然休日を待ち

実家へ行ったのです。

 

そこで待ち受けていたものは

私の常識を遥かに超え

「恥」の概念を吹き飛ばす出来事。

ありえない事が起こっていたのです。

でもそれは家が傾く程の

また永きに渡り私どもの生活に

影を落とす出来事の

ほんの序曲に過ぎなかった事は

後で分かるのですが

当時はそれだけでも大事件でした。

 

まだ続けて良いですか?

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