「壁を乗り越える」について考える。

長年生きていますと

いや

長短ではないですね。

その年代、環境、自身の精神状態

それぞれに生み出る

「壁」。

些細なものから

とてつもなくそびえる様に見えるものまで。

その場その場で考え、悩み

そして時間の経過と共に

霧散したり

迂回路を見つけ出したりして

何とか生き存えて来ました。

みなさんもそうだと思います。

悩みのない人生って

そうそうあるものじゃない。

物理的な壁

社会生活を営む上での障壁

それはどうにか解決、

「落とし所」が見つかったり

厳然たる事実の前に

諦めたりもできるでしょう。

しかし問題なのは

自分の心?の中にある「壁」。

これは厄介です。

私の場合ですが。

長年の精神生活から生み出された

思惟方法、習性

それに立ち憚かる「壁」の存在。

この様な事例に対して

「乗り越えなければ!」

と良く言いますし、

啓蒙書の類にも

それに類する事が書かれています。

簡略すると

「強い精神力」の育成ですね。

もしくは「心の持ち様」でしょうか。

最近良く考えるのですが「壁」って

「乗り越えなければ」

解決しないのでしょうか?

これを

「通り抜ける」

事は出来ないものかと。

「突き抜ける」

とは少しニュアンスが違います。

壁に半身から入って行き

そして、その向こう側に抜ける。

そんなイメージですね。

その為には何が必要なのか。

こちらの変化は勿論ですね。

それは「強い精神力」の為の変化と

あまり「聞こえ」の違いはありません。

その変化が違う様に思うのです。

凌駕する精神力ではなく

「変化」する肉体?生体?

精神活動にも質量を与えたら

その「変化」も必然となるのでは。

精神的な

「変遷」でも「変質」

でもありません。

前提として

「物には実体がない」

がなければなりませんが。

今研究されている分野は失念しましたが

物理学で台頭している議論ですね。

これを書いていて

実は結論は持っていません。

もうだいぶ前になりますが

リサ ランドールさんを思い出し

ふと書いてみました。

「実験劇場」ですね。

失礼しました。

アイキャッチ画像は先日の震度5で

「通行止め」になった高速です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です