誠に「志は難し」

韓非子。

たまに読むと思い出す事が多いですね。

年甲斐もなく

「初心に帰る」

ですか。

知之難、不在見人、在自見、
故曰、自見之謂明

知の難きは人を見るにあらず。
己を見るにあり。
故に曰く
自らを見るをこれを明と言ふ。

無駄に年を過ごしたせいか

己の力量を過信している事多し。

なのです。

自営になってからの成功体験も

失敗体験もありますが

どうしても成功体験の方が

記憶に残ってしまっています。

それを元に思考が凝り固まっていますから、

他人が行う事を

まず否定的な目で見てしまう。

年と共に根性まで

曲がってしまっている様です。

一度は学習した筈のこの言葉さえ

忘れてしまっている。

己の暗黒部分も肝を据えて見なくては

これからの時間が無駄に、

いや「嘘」で凝り固まって流れてしまう。

そして今際の際にこう呟くのです。

「俺の人生はこんなもんじゃなかったはず。

あの時こうしていれば。」

と。

見たくない過去も

素直に反省材料としなければ

これから先の人生

決して「明」とはならない事は

分かってはいるのです。

これは現在の私が

「絶対」にやらねばいけない事ですね。

自分との対峙。

それからこれが

これからの課題にして難題。

志之難、不在勝人、在自勝、
故曰、自勝之謂強

志の難しは人に勝つにあらず。
己に勝つにあり。
故に曰く
己に勝つこれを強と言ふ。

なんとなくこれが良いんじゃないかと

事業を展開していた様な気がします。

年も年ですし

お金もない。

子供もいて胸を張れる仕事もしていない。

と言いますか

自分に自信がないから

胸を張って今の仕事の事も言えない。

現在恥ずかしながら

「志」を立てています。

そんな「志」と言う

大げさな物ではありませんが。

何度か挫折しそうにはなりましたが

不思議とその意欲だけは衰えない。

今思うのです。

厚かましいのですが

人が出来たことが私に出来ぬはずはないと。

このブログだって毎日ですものね。

きっとやれますって。

いや、やれます。

で「強」となるのです。

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