現代用語の基礎知識 存在が効果抜群だった少年時代

現代用語の基礎知識

私の少年時代に我が家にありました。

毎年出される辞典?の様なものですが

時事については結構詳しく書いてありました。

それから得た単語を今度は普通の辞典で調べる。

とその言葉の持つ意味、

単に単語としてではなく

その時、その場合に意味する事ですが

ほぼ理解した「つもり」になり

会話を「わかった」風味で進める事が可能となります。

本当はわかっちゃいないのですが。

一応体裁は整える事ができます。

まだ発刊しているのかしら?

調べてみたら

ありました。

当時のそれは紙質が悪かった。

値段もそれ相応でしたけどね。

現在はどうなんでしょう。

予想するに

だいぶ発行部数を減らしたのではないかと?

なぜなら

ネットです。

今ではスマホから

「いつでもどこでも」

ですから

金出してまで買う意味が多少、

いやだいぶ薄れているはずと考えています。

それだけ時事問題や

単に知識を自分に取り込める環境は

歓迎すべきことなのですが

何か一抹の寂しさを感じるのは

単なる「感傷」なのでしょう。

広く無料で知識を求められる事は

識字率を上げようと必死になっていた

明治時代からすると

これはもう「完璧」と言うしかありません。

これから先

ネットがどれほどのものを

人間にもたらすのか

想像もつきませんが

凄まじい事が現実に進行している事実は理解できます。

それもその特性である伝達速度の速さを持ってです。

この数年でこの世界も

ガラリと様相を変える事も想像されます。

ホリエモンさんがまだ現役社長の頃

「これからはブログだ!」

と強調されていたのを思い出します。

予想通りだった様です。

それにSNS。

予想しなかったものの台頭。

これがまた異様なスピードで何かに変わって行くのでしょう。

「現代用語の基礎知識」

懐かしくもあり、

私の知識欲を大いに高めてくれた存在ですが

これもまた変化と言うよりは

「進化」させなければいけない事は

必定なのです。

現在求められ、

そしてこれから求められる「形」に。

時事問題が多いだけにライバルも多いのです。

ただ確信を持って言えますが

「文責」がはっきりしている事に関しては

闇雲にサイトから引っ張ってきた知識とは

明らかに異なり立派な存在意義だと考えています。

画像はHPより拝借しています。

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