九死に一生の友人と語らう。

昨日、震災で家が全壊し

救助された友人を訪ねて来ました。

震災直後の話しをしてくれました。

以下本人の話しです。

前震の後、家の片付けに家族を避難所に残し

一人一階に寝ていたら

突然の痛みで目が覚めた。

何が何だかわからない状態から

しばらくすると

何も見えず

体が動かない事に気がついた。

「くも膜下か?」

いや、それにしては様子がおかしい。

第一意識ははっきりしている。

が、周りを見回しても何も見えない。

そして体が動けないのではなく

「動かせない」事に気がついた。

かろうじて手だけは少し動かす事が出来る様だ。

ようやく、また地震に襲われた事、

自身が置かれている状況が理解できた。

そして次々と大きな余震が襲って来る。

近くにスマホがあり警報がなっている。

しかしそれを見つけ出し手にする事は出来ない。

何故なら全ての動きを封じられている。

状況を悟った今

動けぬ体に余震が襲う度に

「もうダメだな」

「楽しい事などなかった一生だったな」

不思議と覚めた頭をそれだけが何度も過った。

「そう言えば猫はどうしているだろう」

「あいつもこれじゃダメだな」

「もういいや、次の揺れまでだな」

どれくらい時間が経ったのだろう。

まだ生きていた。

外から声が聞こえる。

俺を呼んでいる様だ。

なんとか返事をしてみた。

途端にどよめき

騒がしく家を壊す音が聞こえ始め

暫くの後、強烈な光の束が襲った。

そして動かせなかった手足が自由となった。

屈強な男達に重力がなくなったかの様に

担がれ崩れ落ちた一階の屋根の瓦の上に運ばれた。

改めて見回すと

見たことのない景色が

我が家とは到底思えない。

盛んに背中におぶさる様促された。

躊躇していたが

いつの間にか逞しい背中にしがみついていた。

背中には

「京都府警」の文字。

近くで

「カメラはないか?カメラ!」

とわめく声がする。

こんな姿を撮られたくない。

羞恥心だけははっきり意識できる。

残念ながら彼はしっかり撮影されました。

数日後、京都の新聞に掲載され

それを目にする事になります。

怪我は勿論ありました。

一ヶ月以上経っていますが

爪が剥がれて黒くなった指。

首に残る傷痕。

それからの彼は私同様

食べ物に苦労し

そこに物資があるのに

何故か貰えない。

「やるせない」思いをしたそうです。

そして罹災証明をもらいに行った時も

行政の杓子定規な対応にいたく傷ついた様子。

悪い事ばかりではありませんでした。

諦めたていた猫は

二週間後に崩れた家に現れました。

大層嬉しく安堵したそうです。

しかし連れて帰ろうにも

そこから動こうとはしない。

ですから「ご飯」をやりに

仕事帰りに寄る毎日だとか。

現在親戚を頼っており

仮設住宅に申し込んだそうですが

競争率が高過ぎ

半ば諦めておりました。

元々物静かで思慮深い話し方をするヤツですが

「この一ヶ月の間に色々考えたよな」

との私の言葉に

「そうだな。これからどうしようか?」

と力なく答える彼の顔は

以前のものではありません。

「良い事の無かったこれまでだったけど

生きる事には縁があったようだな。」

と少し笑った顔が印象的でした。

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