ショパンは良いのだ。好みの問題ですが。

ユンディ リさん
漢字で書くと 李雲迪。

彼を初めて知ったのは確か2000年。

ショパンコンクールの優勝者としてです。

かのコンクールはブーニン、

スタイニスラフ ブーニンさんを

一躍世界的に有名にしたコンクールとして有名ですね。

彼が一番を取って以来

そのコンクールでは「一等賞」は出ていなかった。

一人の作曲家の曲で競そうコンクールです。

チャイコフスキー国際とかありますが

「同じ作曲者で競うのはなかなか良き事哉」

と私の中では評価は高い。

曲の解釈が統一されていそうです。

勿論コンペですから

舞台裏の余り知られたくない部分もあるのでしょうが

トップコンぺティターですから上位の方たち、

その技量はいずれも「白眉」。

ショパンを私が「真面目」に聴き始めたのは

中学一年生の頃。

家にあった「英雄ポロネーズ」からでした。

この曲、割とポピュラーで聴き易かった。

他にもショパンはありましたが

何故か聴くのはこの曲ばかり。

学校から帰るとまずこの曲を聴く。

それから次の「お気に入り」のクロイツェルを。

話しを元に戻して。

ユンディ リさん。

彼の演奏を聴いた時

驚きました。

私のショパン像を見事に具現化した様に感じたのです。

「ショパンが生きていたら多分こんな弾き方」

勝手にそう感じました。

そう感じた背景には何があるのか。

多分ですが「同じ東洋人」も否定できないと思います。

気持ちが「ふっ」と抜ける部分、

溜めて溜めて一気に爆発させる部分。

そりゃ見事に

「我が意を得たり」

です。

とある高名なピアニストの方が
新進気鋭のピアニストにレッスンをつけている
場面を見た事がありますが

技術的には問題があろう筈がありません。

でもそのピアニストの方が怒って指導していましたが

その言葉が印象的でした。

「これは音楽ですよ。音楽!」

これですね。

同じスコアでも

何故違いが出るのか。

そして何故ユンディ リさんに惹かれるのか。

これも私の勝手な推測ですが

「背負っている文化」

この違いだと思うのです。

「論語」でもそうですが

古代中国語を欧州の方が英訳したものと

我が国の和訳では随分違いがあります。

そう考えると

文化的なものも含め

我々東洋人の感覚も
世界的に認知されたかと思いますと
感慨深いものを勝手に感じるのです。

画像は送って頂いたシリアル。

被災してから各地の友人たちが
色々送ってくださいました。

各種大量にありますから

当分それの「消化」が続きます。

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