餓鬼頃の思ひ出。徒然。若しくは雑記。

最近子供の頃を良く思い出します。

「お迎え」が近いのかしら。

私は下町育ち。

幼少の頃は近所のガキ共と徒党を組んで
遊びまわっていました。

ロー石で道に書きまくったり
工場跡地にできていた池でザリガニ釣り。

その釣ったザリガニを
京成線の線路に置いたりしてました。
まだ高架ではありませんでしたからね。

長い釘を線路に置いてペッチャンコにし、
それにヤスリをかけてナイフ様な物作ったり。

余り「タチ」の良くないガキだったみたいですね。

良く学校の朝礼で校長先生が

「線路に自転車を置かないように!」

と度々注意されてました。

私じゃありませんよ。

勿論。

高学年になりますと
皆んなでこずかいを出し合い
区営のグランドを数時間借りて
野球に興じてました。

普段は団地の公園です。
試合をしない時は団地の横の壁に
ボールを当ててキャッチボール。
良く「うるさい!」と怒鳴られてました。

ガキですがたまにはマトモにと。

帝釈天の参道を徒党を組んだ銀輪部隊が
駆け抜けます。

帝釈天に当たり
左に折れて下るとグランドです。

今ではとても出来っこない。

昔はのどかでしたね。

参道も昔の風情を残していました。

今思えば。

幾つかの店の前には池があり
綺麗な鯉が泳いでいたのです。

あの当時は何処へ行くにも自転車。

マップで当時の道筋を検索すると

結構な距離を移動していたのには

ビックリ。

手賀沼、印旛沼まで足を伸ばしています。

正式名称は
水戸街道だったか日光街道だったか失念しましたが

通称13間(ジュウサンゲン)道路。

これを軸に色んな所へ行ったのです。

そう言えば

私は魚が大の苦手。

触る事も食べる事もしません。

が、当時は水元公園に
良く雷魚を釣りに行っていました。

思えば
当時から「外来種」が普通にのさばっていたのですね。

その頃は特に問題視もされていませんでした。

時が変れば
「問題」も変わっていくのですね。

「人間の都合」

結構怖かったりして。

画像は富岡製糸工場限定のコロンバン。

美味しいですよ。

いや、「かった」ですね。

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