「普通」とは?

どの家庭にでも個人にでも、
その軽重はあれ頭の痛い事、
思いを致したくない事はあると思います。

私の家庭もその時期に合わせて問題は色々ありました。

思い返せばその問題と並走しながら成長し、
今の人格が形成されて行ったと感じます。

誰にでも人には言えない事はあります。

それをず〜っと心の奥底にしまいこんで生きているのです。

私の場合、数ある中からサクッと言えば一つは母親でした。

思いっきりヒステリック。
他人からは想像もつかない様な
私への自分の押し付けは、
時期が来てその呪縛から距離的にも離れられる様になった時、
私は自分が醜く見える位

「自己中」

な大人へと成長していました。

私は思いやりに欠けます。

深く考えないで発する言葉が多いですね。

幼少期から母親にメッチャ怒られる事が多かったのですが、
それが嵩じて揉め事とか争い事を正面から見据えず、
なんとか逃げ出そうとばかり。

それは当然「その場しのぎ」にしかならないのですが。

その傾向は今でも己の中にある事をよ〜く認識していますし、
その手の発言が多いですね。

私の父方の祖父の命により
両親の故郷に行く事になりましたが、
私一人東京に残して欲しいとの要望は
当然認められるはずもなく転校を余儀なくされました。

それでまたまた試験。

転入試験を受ける羽目になったのです。

どうにか7倍の競争率をくぐり抜け入ったものの、
今度はサブカルならぬ
カルチャーショックが待っていたのです。

誰も知り合いもおらず、言葉がわかりにくい。
当たり前ですが風景も違う。

そこで一人下宿生活をしながら通学する事になりました。
正直、寂しかったですよ。

今まであって当然のあるべきものが無い。

それは物理的なものではなく、
言葉を選べば、すご〜くのんびりしていたのですね。

端折って書きますが、
3年の頃は余り学校には行かなくなっていました。

本ばかり読んでいました。

それから何故か良く博多へ行く様になっていました。

その博多で思いがけない出会いが待っていたのです。

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